しかし、日本政府にとって、関税削減は禁じ手だ。それは、高い関税によって維持される高い価格で、利益を得る組織があるからである。農協である。関税を削減するくらいなら、たとえ税金を無駄に使おうが、輸入枠を増やした方がよい。
財政負担をするのであれば、関税を撤廃し、減反を廃止して、米価を下げ、消費者に安く米を提供するとともに、影響を受ける主業農家には、財政から直接支払いを行えばよい。
減反補助金の4000億円がなくなるので、財源は十分ある。米価が下がれば、コストの高い零細な兼業農家は、農業を止めて、農地を主業農家に貸し出すので、規模拡大が進み、コストが下がり、消費者の利益になる。これがベストの政策だ。
しかし、農協にとっては、その発展を支えてきた兼業農家がいなくなってしまう一大事である。
戦後の食糧難の時代、米を政府に集荷するため、農業・農村の全ての事業を行っていた戦前の統制団体を、衣替えしたのが農協である。このため、農協は、銀行も生保も損保もできる、日本で唯一の万能の法人となった。また、農家の職能団体なのに、地域住民ならだれでも農協事業を利用できる 「准組合員」制度が認められた。統制団体をルーツに持つ農協は、中央から地域農協へと指揮・命令が下るトップ・ダウンの組織となった。地域農協は組合員ではなく、全国や都道府県の農協連合会によって支配されている。
農業資材を安く購入するために農家が作った農協は、独占禁止法の適用を受けないという特権を利用して、アメリカの倍の価格の肥料、農薬、農業機械などの資材を農家に押し付けた。国際価格よりも高くなる価格を維持するためには、高い関税が必要となる。
米農家戸数を維持したい農協は、1960年代、農家戸数を減少させて規模拡大を図るという構造改革に反対し、米価引上げの政治運動を展開した。高い米価によって、コストの高い零細兼業農家も、農業を継続した。かれらが農地を出してこないので、主業農家に農地は集積せず、規模拡大は進まなかった。米価引上げが、兼業農家の滞留、米消費の減退、米過剰による減反をもたらし、米農業を虫食んだ。農家の7割が米を作っているのに、2割の生産しかしていないことは、米産業の非効率性を示している。
農業から足を洗おうとしている兼業農家は、兼業収入だけでなく、農地を転用して得た年間数兆円に及ぶ利益も、JA農協バンクに預金してくれた。こうして、JAバンクの貯金残高は約90兆円まで拡大し、我が国第2位を争うメガバンクとなった。