対談

2015年4月8日

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丸山:そう。それは対応できるし、ある程度はすでに対応されてきたんです。すぐに健康被害が出るような毒物を環境中に放出するようなことは日本ではもうできませんし、そういう工場も存在できません。どこかに悪者がいる解決可能な問題はほぼ決着して、次のステージに入っています。それはモラルに訴えて解決できる段階ではないのに、従前の発想で解決しようとする嫌いがありますね。

久松:よくわかります。全員が加担している問題がほとんどですよね。

丸山:自分自身だけではなく、子孫が被害者になる可能性も含めて、全員が薄く広く加害者であり、被害者である問題です。もちろん、たとえば企業のモラルに問題が残っているケースもありますが、それでも「誰が悪いのか」の問いはもはやあまり生産的ではありません。

久松:解に近づかない。

丸山:近づかないですね。たとえばある種の人たちに、化学肥料や農薬を使う慣行農業への忌避感があることは理解できます。でも、忌避感を持たれるモノをなぜ使うのかと、問いを立てないといけない。そこがわかれば、問題は倫理から生産性のステージに移ります。使用量を減らす合理的な理由も出てくるでしょう。使うか使わないか、ではなくて、使っている量が適正なのかを見るステージですね。

 私は慣行農業に忌避感はないけど、農薬使用量には相当に疑問を持っています。使い過ぎじゃないかと思う場面もかなりある。でも仮に農薬や化学肥料が使いすぎだとして、現在は全体の1%しかいない有機農家を10倍にしようとすることと、99%の慣行農家の農薬や化学肥料の使用量を10分の1減らすことは、環境負荷的には等価なんですよね。

久松:等価だし、後者に働きかけたほうが「効く」わけですよね。

丸山:効きます。実践的に可能なのはおおむね後者を変えることなんだけど、そっちがターゲットにはならない。

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