対談

2015年4月8日

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丸山:現場をもっていることは久松さんにとって重要ですよね。アタマで作られたお話は、どこかで修正せざるを得ない。でも講義を聞いた学生や、あるいは消費者は現場をもっていないから、いつまでも誤謬が維持されてしまう。

久松:僕は「手触り感」と言っているんだけど、実感にともなう説得力しか通用しないんですよね。だから農薬についても「適正使用をしています」よりも「無農薬です」のほうが説得力を持ってしまう。2冊の著書ではかなり栽培のロジックにも触れたつもりですけど、読者の反応の多くはロジックについてよりも「久松さんにとっては農園を吹き抜ける風が何よりも大事なんですね」だったりします。

丸山:ロマンとビジネスがいい加減に、矛盾しながら共存しているのがいいところなんじゃないかな。久松さんにとっての迷いやモヤモヤがロジックではないかたちで表現されるんだと思うけど、でもそこに立ち止まらずに、泣きながら言語化していく。言語化できるものは言語化して、でも俺の大切にしている有機農業はそんなチンケなものだけじゃない、とも言ってしまう。そういう矛盾が残っているのが魅力なんじゃないですかね。

「悪者探し型環境保全」の時代はもう終わった

久松:農業がもっと環境保全的なものでなくてはいけないと考える人は、農家や学生だけでなくかなり多いですよね。でも環境を個人のモチベーションとして考えている人は少ない気がします。「地球全体の環境を守るのではなく、農場内の生態系を美しく循環させたいだけだ」「社会全体はどうでもいい」という人がもっといていい気がする。みんなそんなに社会規範に沿って考えているのかなあ? 僕が突出してわがままな人間なのかも知れませんが。

丸山:その可能性は否定できないですね(笑)。

久松:でも個人って社会を内面化して生きているわけじゃないでしょ? 僕にとって社会は制約条件なんだけど。

丸山:うーん……何に由来するどういうマインドかはわからないけど、環境対策は「やらなきゃいけないらしいからやる」、そこまでで思考が止まっちゃっているケースは多いですね。どうやったらみんなが「やりたくなる」のかは考えられていない。

丸山:環境問題は、個々のプレイヤーにとっての合理性に想像力が届かなければ解決できません。学生に環境問題を取り組ませるときには、具体的にどういう問題で、どこにどんなプレイヤーがいるのかをマッピングさせています。その上で「こいつが悪い」と特定できるかどうかを聞きます。たいていの問題は、悪者を特定できない。

久松:特定できるものは簡単な問題だけですよね。

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