2024年5月30日(木)

いま、なぜ武士道なのか

2009年8月17日

 人は一人では生きてはいけない。どんな人間でも生あるものは、必ずどこかの組織に属している。明文化された規則のあるところもあればないところもある。人が集まり、一定の方向に動き出せば組織が生まれる。現代におけるその典型が会社であり団体である。その中で人の信を得、組織を動かしていく者にとっては、この『葉隠』の哲学は有用であるはずだ。

 組織を一人でも背負う覚悟の人間には迫力がある。その迫力に人は敬意をはらう。尊敬されることによって、はじめて人を動かすことができるのである。

心持ち次第で人生は変わる

 現代の日本ほど命を粗末にしている国はないだろう。その証拠は自殺者三万人である。教師や保護者が、「命は大切、一つしかないから」などと説教しているが、ほとんど効き目がない。イジメや貧困などが考えられるが、私は自殺したことがないから、自殺者の本心は理解できない。だが推察してみるに、自殺者のホンネは「生きる希望」がなくなったからではないだろうか。非情で、死者に鞭打つようで恐縮ではあるが、「生きる希望」とは見た目には美しいが中身はほとんどない。希望などというものは、自分で探すか、作り出すものである。なぜなら、人それぞれ身長や体重が違うように、千差万別だからである。それぞれに個性があり特色がある。だから一律に「こうしろ」などとはいえない。強いていえば「自分で作り出せ」というしかない。ものごとを作り出すにはエネルギーがいる。体力がいる。小さいころから走らせ、転ばせるところからスタートしなければならない。イジメにあったらやり返すか、我慢するしかない。どちらにしてもエネルギーが必要だ。自殺予防には命の大切を説教するのではなく、グラウンドを走らせ、体力をつけることである。

 つい先ごろ、雪山遭難者が十日ぶりかで自力生還したことがあった。その命を支えていたものは、老齢の母親の面倒を見なければならない、ということであった。命を大切にするとはこういうことである。つまり、自分にある責務を感じることが、死との戦いに克つ唯一の道である。自己だけの小さな器から脱出し、他にたいする責務を自覚することである。その意味で、自殺者はエゴイストということができる。なぜなら自己だけの世界に閉じこもって、ついには窒息してしまうからである。人にはそれぞれに与えられた責務がある。親は子を育てる、教師は生徒を教える、警察は泥棒を捕まえる、消防は火を消すというように、他に対する責務がある。それを忘れるから自分だけで天国へ逃避してしまう。天国はみずから行くところではなく、迎えがくるまで待つところである。

 かく他者にたいする責務を自覚したならそれをやり遂げることが必要である。『葉隠』はその覚悟を諭しているのだ。七生報国とは、ヘビのように執念深く生き抜いて、お世話になった人に報いるということである。

◆『いま、なぜ武士道なのか―現代に活かす「葉隠」100訓』

 

 

 

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