この熱き人々

2015年6月16日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

余白の中に役が降りてくる

 逃げよう逃げようとするのに、まるで深情けの女性が追いかけるようにテレビの箱や映画のスクリーンが水谷を搦(から)め取って放そうとしない。いまでも水谷は「俳優はバイトですから」とインタビューなどでしばしば答えている。バイトがバイトをよんでいまに至っているという意味のようにも思える。が、常に独特の存在感を示し、高い評価と高視聴率を獲得し続けてほぼ40年である。一本の道を命がけで進むことが美徳とされる風潮がまだ色濃く残る日本で、子役から半世紀の歴史をバイトとはなかなか言いにくい。それをあえて言う。言い続ける。

 「僕はね、本業といえるものは自分の意思で全うできるものじゃないかと思っているんですよ。俳優は自分の意思だけで一生続けられるものではない。となるとバイトかなあって。今振り返ってみるとね、バイトって思っていたからよかったのかなって思うこと、あるんです。これが最後だと思うと手が抜けない。同時に、最後だと思うからこそ好きにできる。自由だったんです。もし、本業意識で続けたいという思いが強かったら、人の言うままにいい子になって、真面目にひたすらやって、早くダメになって続いていなかったかもしれませんね」

 不真面目なことも真面目にやっちゃうくらい真面目ですからねえ……と笑った。バイトと言い続けるのは、水谷にとって、精神の自由を確保して常に新しい空に羽ばたけるようにするための呪文のようなものではないのか。バイトと自ら口にした時こそ、俳優を本業として自覚的に生きる覚悟を固めた時だったのかも……ふとそんな気がした。

 「こうでなければならない、こうありたいと思うことは確実に自分の中にあるんですよ。でも、それを突き詰めていくと、余白がなくなってしまう。余白があるから、空気や場所や人との関係を感じ取りながら現場でふっと役が降りてくる。そのために自分を縛らないことが大事なんです。自分の培ってきたものや価値観に縛られていると、その中でしか生きられなくなってしまうから」

 演じる際に綿密な計算はしないタイプだという。自分を自由にするために余白が必要で、そのためのフィクションとしてのバイト感覚。それは、自らのことを知り抜いた水谷が、<水谷豊>をスクリーンやテレビの世界で解き放ち、さまざまな役柄を自由に泳がせるために守っている砦のようなものなのかもしれない。

 水谷といえば、いまや誰でも警視庁特命係の杉下右京を連想する。土曜夜の2時間ドラマ枠で産声を上げ、シリーズ化されて今年で15年目。テレビドラマが低迷していた時期に、大人の鑑賞に堪える上質なドラマとして誕生し、その後、ドラマ人気を復活させる原動力にもなり、劇場版として映画でも多くの観客を集めている。

 「本名で呼ばれるより、杉下さんとか右京さんとか呼ばれることが多いですから」

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