最後に1点強調したい。パブリック・ディプロマシーの本質は、反日宣伝・レトリックを「論破すること」よりも、市民レベルで心と心を「触れ合わせること」である。されば、公の場での情報発信にせよ、文化を通じた芸術的体験の共有にせよ、その最終目的はあくまで相手国との「和解・共感」でなければならない。
その意味で、広報文化外交は決して「勇ましいもの」ではない。むしろ、相手の心に刺さった棘を抜くような「温かいもの」であるべきではないか。これこそが00年から3年半、北京の日本大使館で広報文化を担当し、もがき苦しんだ筆者の個人的体験に基づく結論である。
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