(1)官民連携
外交を政府が独占する時代はとっくに終わった。「戦争によらず国益を最大化する知的活動」が外交だとすれば、それを官民連携で進めるのは当然だろう。他方、広報文化外交の本質を知らないコンサル会社などにイベントを丸投げしたり、政府に代わる民間外交の役割を過大評価したところで広報文化外交は成就しない。
(2)大義名分
広報文化外交の本質は、外国の世論・市民の「琴線に触れる」ことを通じ、当該国の「外交方針を変更させる」ことに尽きる。「琴線に触れる」とは現代国際政治の「基本ルール」に基づき「大義名分をとる」ということだ。戦略的手法をとらない限り、巨額の予算をつけても、パブリック・ディプロマシーは成功しないのである。
では「ルール」とは何か。「大義名分」か否かを決める基準は「普遍的価値」、すなわち、自由主義、民主主義、法の支配、人権尊重、人道主義だ。今日の国際社会では、どの国も自らの行動を「普遍的価値」により説明・正当化する。これこそが最も有効な「大義名分」なのだ。この点は極めて重要なので、誤解を恐れず詳述したい。
過去の「事実」を過去の「価値基準」に照らして議論し、再評価すること自体は「歴史修正主義」ではない。しかし、そのような知的活動について国際政治の場で「大義名分」を獲得したいなら、「普遍的価値」に基づく議論が不可欠だ。いわゆる「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」について、歴史の細かな部分を切り取った外国の挑発的議論に安易に乗ることは賢明ではない。
過去の事実を過去の価値基準に照らして再評価したいなら、大学に戻って歴史の講座をとればよい。逆に、過去の事実を外交の手段として活用したければ、過去を「普遍的価値」に基づいて再評価する必要がある。歴史の評価は学者に任せればよい。現代の外交では普遍的価値に基づかない歴史議論に勝ち目はないのだ。
(3)共通理解
日本は民主国家であり、国民は異なる意見を自由に表明できる。だが話が広報文化外交となると、それだけでは済まない。外国は日本国内の様々な意見を調べ上げた上で、次の宣伝キャンペーンを張ってくるからだ。この種の攻勢に対抗するには、日本国内で最低限のコンセンサスを作り、そこからブレないことが重要となる。
勿論、日本には極左から極右まで多種多様な主張がある。同時に、声には出さないが日本の良識を代表する多数派も必ず存在しているはずだ。これら日本の「サイレント・マジョリティー」の考え方を対外的に発信し、外国が耳にする左右の両極論が日本人の主流ではないことを伝えることも、立派な広報文化外交である。