――この屏風絵の見どころは?
辻館長:単純な分かりやすい絵なので、表情や姿形がこちらに伝えてくるものを素直に感じ取ればいいでしょう。この絵は若冲が80歳ぐらいのときに描いたものですが、まるで子どもが描いた絵のようです。たとえば、垂直に吹き出している潮。あんな吹き出し方は実際にはありませんが、勢いがあって面白いですね。波も奇妙な生き物のよう。若冲以外にあんな波を描く人はいません。象もぬいぐるみみたいで可愛らしい。耳の形も、座り方も実際にはありえない形ですが、とても面白い。「こうあってほしい」という思いをそのまま描いたのではないでしょうか。若冲は動物が好きだった。その動物をただスケッチするのではなく、親愛のまなざしで描いている。生涯、純粋な子ども心を失わなかった若冲らしい絵です。
――若冲は本物の象や鯨を見たことがあるのでしょうか?
辻館長:象は享保13(1728)年6月に、雌雄2頭がベトナムから長崎に上陸しました。雌は病死しましたが、雄は将軍吉宗の観覧に供すため、翌年3月に江戸に向かい、4月頃、京に着いたそうです。享保14年といえば、若冲は14歳の好奇心旺盛な年齢。沿道の群集に混じって見た可能性は大いにあると思います。鯨については、当時、紀州で捕鯨が盛んでした。また、当時、大坂で行われていた見世物にも鯨が出ていたという記録があります。ことによるとそれらを見たかもしれません。
――若冲はこの屏風絵をだれかに依頼されて描いたのでしょうか?だとすれば、どんな人が依頼したのでしょうか?
辻館長:祇園祭の宵山に、旧家が祭りの見物客に屏風をお披露目する風習があるのですが、この絵はそういう場所で、大勢の人に見てもらうような絵です。そういう場所には奇抜な絵のほうが向いているのです。資料が残っていないので、あくまで推測ですが、財のある商家が大勢の人に見せるために注文したのかもしれませんね。
――数十年前まで若冲は知る人ぞ知る異端の画家でしたが、1974年に先生が『若冲』(東京美術出版社)を著されたことで注目を浴び、2000年に京都国立博物館で開催された「没後200年」の展覧会をきっかけに爆発的なブームが起きました。若冲人気が高まった理由は何でしょうか?
和歌山県・草堂禅寺蔵
辻館長:30数年前は一般の人の“絵を見る目”が遅れていたんですね。正統派の絵だけに関心があった。今は、若冲の絵のような不思議な美しさが理解されるようになった。若い人の目が、若冲に近寄ってきたといえるでしょう。子どものような純粋な心で、不思議な視点で描いた若冲の画風が、現代人にアピールしているのかもしれませんね。今回の展覧会には、水墨で描かれた「象と鯨図屏風」のほか、色鮮やかな作品も多数出展されています。若冲が創り上げたワンダーランドでしばし遊んでみられてはいかがでしょう。
聞き手:辻一子
若冲ワンダーランド(~2009/12/13)
滋賀県甲賀市・MIHO MUSEUM(琵琶湖線石山駅からバス)
〈問〉0748(82)3411
http://www.miho.or.jp/japanese/index.htm
※「今月の旅指南」は月刊「ひととき」に掲載されていますが、この記事はWEB限定です。