2024年7月15日(月)

コラムの時代の愛−辺境の声−

2015年7月27日

 それとも、強行採決を止められなかった野党議員としては、せめて、そのクライマックスで、地元選挙区の支持者に、「私は立派に最後まで抵抗しました」と訴えたかったのだろうか。それが、票を投じてくれた支持者らに示せる、唯一の誠意、「私はここにいます」という必死の自己PRととれば、心情はわからないでもない。

 一連の強行採決でもっと奇妙なのは与党議員の方だ。欠席はあったようだが、なぜ一人として、はっきりと造反を表明した議員が出なかったのか。

 政党が議員の表決を縛る「党議拘束」があるから、と言えばそれまでだが、それなら、自民党内で「今回は一丸となって賛成票を投じてもらいたい」「いや、それでは私の支持者が許さない」といった議論が少しはあっても良さそうだ。

 自民の場合、2005年に小泉純一郎政権下の郵政民営化法案をめぐって、衆参合わせて50人以上が造反したが、今回は一議員が記者会見などの場で法案への異論を唱えたくらいだった。

ベルルスコーニに造反したイタリア議員

 ここで話は辺境に飛ぶが、破綻寸前のギリシャでは、与党議員が造反し、それで内閣が崩れることがよくある。造反とは議会政治の一つのツールなのだ。

ベルルスコーニ・イタリア元首相(iStock)

 イタリアでも、2011年11月、少なくとも10人の与党議員の造反で、当時首相だったベルルスコーニ氏が事実上の不信任を突きつけられ、急転直下、退陣に追い込まれた。数字が「少なくとも10人」とあいまいなのは、1人の議員が「採決のとき、トイレに行っていた」と言い訳しており、造反かどうか不明だからだ。

 直後、私はイタリアの造反議員に話を聞いて回ったが、「地元の支持母体やビジネス団体から説得され、造反に回った」「地元の声に勝てなかった」「半年くらい前からずっと支持団体に言われてて」と、「地元」「地元」と答えたのが印象深かった。

 日本から遠望すれば、イタリアやギリシャの議会政治など「むちゃくちゃ」という印象もあるが、筋が通っていることもある。

 主権はあくまでも国民にある。その国民が自分たちの代弁者として選んだ議員を国政に送り出した。つまり議員は国民が使うものだ。その国民が法案ごとに議員の決定を左右するのは当然ーーというのが筋だ。

 この時は、経済危機を巡り、財政再建のための新緊縮策がテーマだったが、議員たちが地元の声に押された例は少なくなかった。いざという時、有権者の声が議会政治に生かされる。それが党の分裂、造反という形で表れる。

 議員としても当選したら「支持者の皆さん、4年後までさようなら」というわけにはいかないのだ。

 一方、日本の国会議員たちの何人が今回、自分に投票した有権者たちの声を聞いて回ったのか。安保法案については、世論調査でも反対多数かせいぜい五分五分の難しいテーマである。地元の声、少なくとも支持者たちの声を議員たちはどれほど聞いたのか。

 昨年暮れの衆院選で地元に帰り、握手して回った議員たち。その時は「アベノミクス」と「地方創生」ばかりで、ほとんど話題にならなかった安保法制について、「ところで、私を選んでくれた皆さん。どう思いますか」と聞いて回るのが筋。地元に対する誠意ってもんじゃないでしょうか。

  
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