2024年7月16日(火)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2015年8月27日

 「今から考えれば、安易な考えで職を決めたと思う」。とりあえず仕事につかなければ。そんな差し迫る思いもあったのだろう。自分に何ができるか、何をやりたいかを深く考えないまま仕事に就いた真木は、先輩との方向性の違いから、独立することを決めた。

 仕事のキッカケも、ノウハウも、ほとんどゼロからの起業。関係各所に挨拶回りをするだけの日々。それまでの付き合いの中からいくつか仕事は生まれていたが、08年までの2年間は自身の給料を取れない経営だった。貯金を切り崩しながらの生活の中、ひたすら人間関係を構築していった。

 09年からは、シャンプーや化粧品の企画、製造に関わった。高校野球部の同級生の紹介などもあり、安定的な仕事も増えだした。給料が取れるまでに成長し、一時は年商1億円に手が届く手前まで伸びた。

 「野球を辞めて、人とのつながりほど重要なものはないと、つくづく思う」

 生活をしていくことへの不安さえあった真木の言葉は重い。仕事がなかった日々を回想するように語る真木の目は、まさに経営者のそれだった。

 11年、高校の野球部の監督をやっている先輩に、「ユニフォームを簡単に洗える洗剤を作れない?」という提案を受け、試行錯誤の末に1年程かけて開発。当時は先輩のために、半ば慈善事業のように開発をしている中で、思いの外、需要があることに気づく。真木は自社商品として商品化することを決める。現在、小学生、中学生の野球少年をもつ親を中心に着実に売れる商品へと伸びつつある。

 すっかりビジネスマンとしての風格を漂わせている真木は、プロ野球選手のセカンドキャリアについて、自身の経験も照らし合わせて語る。

 「今まで野球一筋、それしか知らない人生を歩んできた人間にとって、最初の職業は慎重に選ぶべきだと思う。それには、選択肢を多く持つこと。焦って決める必要はない」

 現在、仕事と並行して「ドリームネクスト」というサイトを運営している。プロ野球選手が引退後どのような職に就き、活躍をしているのかを知ることができるサイトだ。「引退後の厳しい実態も知ってもらいたいと思って運営している」と話す。好きな野球を嫌いになるまで悩み抜いた現役時代。給料の取れない経営者時代など、様々な壁を乗り越えてきたからこそ、真木の言葉の一つひとつは、非常に深い。

  
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◆Wedge2015年9月号より

 

 


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