「一般的に水深200メートルより深いと深海と呼びます。200メートルで太陽の光は届かなくなり、暗くて冷たくて海水温差が少なく、光合成で生きる植物プランクトンがなくなる。それをエサにする小魚がいなくなり、小魚をエサとする大型の魚も生きていけない。そこを境に生態系が変わってしまうんです」
それなら水深1万メートルの海はいったいどんな世界なのだろうか。想像はどんどん膨らみ、海と海の生き物について語る石垣の話もどんどん熱を帯びてくる。このままでは、主役が深海と深海魚になってしまう。やや強引に、石垣がなぜ、かくも海に深く潜る生き方をするようになったのかまで戻してみる。
海のスペシャリストを目指して
生まれは下田。伊豆半島の突端で、家から海まで徒歩3分。だから初めて海を見たとか初めて海に入ったという記憶がないという。
「空気って潮の香りがするものと思ってましたから。それがあまりに当たり前なんで。足のつかない海に船から落とされたのが小学校3年の時。これは覚えてます。あ、浮くんだって思った。それと潜っていく兄を見てかっこいいと思って、それから毎日潜ってました。素手でタコを取ろうとしたらタコに咬みつかれて、すごく血が出て、タコってすごいんだって知りました」
改めて好きという意識すらもたない当たり前の日常の中にあった海だったが、漁師の家ではなかったので仕事には結びつかなかった。
「親戚から公務員を勧められ教師を目指して受験勉強していたんですが、入試の直前に母から、単身ニューヨークへ渡り皿洗いしながら一流のホテルマンになった遠縁の人の話を聞いて、もう体中に電気が走っちゃったんです」
いったい何が石垣の中を電流となって駆け巡ったのか。外国だったのか、ホテルマンだったのか、大冒険のサクセスストーリーだったのか。おそらく本人にも不明なまま、走った電流が変えたのは、国公立大理科系から私立大文科系の国際関係学部への志望先。
「何か国際人ってイメージにあこがれちゃったんですよね、きっと」
国際人を希望し、大学時代にバイトで交通費を稼いではバックパック一つで14カ国を回った。スキューバダイビングの免許も船舶免許も旅の途中で取得しているが、それも将来を見据えてのことでもなさそう。