経済的な観点から高齢者を見る視線が厳しくなっているという指摘も理解できる。五木氏の知人には、月に30万円から40万円近くもの高額な年金をもらっている人がいる。そうした人々を支えているのが現役世代である。給料が安く、結婚もままならない若年層がいるなかで、様々に手厚い保護を受けている高齢者がいるのである。これまでもさほど重症でないのに高齢者が頻繁に病院に通い、待合室がサロン化していることなどが指摘されてきたが、現在も状況にあまり変わりはないのかもしれない。こうしたことが医療費の膨張を生む一因になっているのは自明である。
社会のあらゆる面でこうした高齢者に違和感をもつ人は多いだろう。残念なことだが、あつれきが生まれてくるのも十分に理解できる。こうした点を五木氏が冷静だがずばりと指摘しているのはまさに慧眼と言える。五木氏が「新たなヘイトスピーチの予感」と懸念しているように、五木氏のいう「金食い虫」たる存在の自分たちに向けられている強い憎悪や嫌悪感、拒否感など厳しい視線に気付いているだけに、五木氏の言は説得力がある。自らの世代を「老人階級」と名付け、世代間闘争の槍玉にあがっているという分析にもなるほどと思わせる。五木氏みずからが80歳を超えているからこそメッセージがリアルに伝わるのである。
こうした状況を踏まえて、本書で五木氏は、道徳論や精神論ではないいくつかの大胆な提案を行っている。一つは「産業意識の転換」であり、産業の担い手も市場も高齢者を切り口に発想してゆこうという発想だ。生産の再編成を行い、「老人力」を発揮できる場を広げようという提案である。高齢者のニーズは高齢者がよくわかる。ならばそうした層を対象とした製品の開発やマーケティングは高齢者に任せ、そして日本を“老人カルチャー”の中心地にするという考え方である。
もう一つは、一定以上の収入のある豊かな人は年金を返上し、社会に還元すること、そして高齢者があえて選挙権を後の世代に譲る「選挙権の委譲」だ。五木氏は少なくとも100歳以上の高齢者が自主的に選挙権を辞退することは認めてもいいのではないかと説く。年金の返上にしろ、選挙権の委譲にしろ、いずれも社会全体で議論が沸騰する「コントラバーシャル」な提案であり、憲法改正や法改正にまでつながるような大きな挑戦である。おそらく政治的にも簡単にはゆかないだろう。だが、世の中に広く名前や存在を知られた五木氏があえてこうした提案をする意義は決して小さくないだろう。
終章に収められた五木氏と社会学者・古市憲寿氏との特別対談は52歳の年齢差を超えて非常に興味深く、含蓄に富んでいる。こうした世代を超えた率直な対話こそが、日本の社会構造を前向きに変え、「嫌老社会」に陥らないための一つの方法であるということを図らずも示唆している。
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