パート①とパート②は、ルワンダの紛争鉱物について書いた。同時に欧州の宗主国がアフリカを植民地として搾取する構造についても深掘りしたつもりだ。ではこの20年間、積極的にアフリカ進出をしている中国はどのような戦略と考え方でアフリカ進出しているのだろうか? このパート③では、中国のアフリカ進出と日本のあるべきアフリカ外交についても現場情報から分析してみたい。
なぜ日本はアフリカ貿易で中国に先を越されるのか?
去年、当社のアフリカ貿易が飛躍的に伸びてきたので、需要家にアフリカの最新情報を報告する機会が増えた。質疑応答の時間に「なぜ日本はアフリカ貿易で中国に先を越されるのか」、「アフリカで中国に負け続ける日本がどうすれば良いのか?」といった質問をしてくる日本人が増えている。少し前までなら良い質問なのだが、今となってはマスコミの誤った情報を真に受けているようなケースが少なくないので返答に困っている。
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率直にいえば今の日本にはアフリカに貢献できるような大型予算も無ければ民間企業も「石橋を叩く」ばかりで開発力と実行力が無いために中国と比較することは無意味であることが分かってないのである。
欧米の論調にしても、今や日本人はいつまでも昔の「Japan as No.1」を本気で信じているのは滑稽だ。と率直に言ってくれる友人も増えてきている。日本に力が無くなっているのは我々日本人が一番知っているはずなのに、事実を認めたくないのか「そんなはずはない」と思っている経済人が多い。
昨年12月にアフリカを回って思ったことは「中国はアフリカでよく頑張っている」という事実である。商社マンを長くやっていると身の程知らずな意見を言っても、誰も相手にしてくれないことを熟知している。従って、日本がアフリカ市場で中国と同じ行動パターンをとるのは明らかに間違った認識であることを言っておきたい。
政治家も経済人もアフリカに対してこれまでも綺麗ごとや、外交辞令は度々口にするが正直に言えば「おためこがし」の口先だけのボランティアをしているに過ぎない。
「羹に懲りて膾を吹く」日本のアフリカ進出
1960年代のコンゴ民主共和国(DRC)カタンガ州での日鉱金属(現JXグループ)の銅鉱山開発の失敗が日本人のアフリカ開発のトラウマになった。「羹に懲りて膾を吹く」ということわざがある。以前の失敗に懲りて度を越して用心深くなるということである。日本の産業界はアフリカといえば悪いイメージしか持っていない。
シャバ紛争が起こって日鉱金属はDRCから退却した歴史は日本の非鉄業界にとって痛恨の経験であった。高度経済成長時代にせっかくDRCに投資した約600億円(今でいえば軽く6000億円以上)がパーになってしまった。日鉱金属の岡田昌徳前会長にDRCの話題をすると「中村さん、コンゴの話だけは勘弁してくれ。せめてもの慰めは一人も死者を出さずになんとか全員が帰国できたことだ」と答えられた。岡田前会長にとってみると、アフリカ開発には余程辛い思い出があったのだろう。