2024年11月22日(金)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2016年1月6日

日本の政界にもアフリカを愛してやまない国士がいる

 さて、昨年の12月5日から22日まで日本アフリカ友好議員連盟の三原朝彦ミッションに合流してアフリカ諸国を歴訪する機会に恵まれた。三原朝彦団長と山際大志郎副団長は心からアフリカを愛し同時に日本の経済界にも資する発想と支援体制を構築するために毎年アフリカ諸国を訪問している。三原アフリカミッションの毎日の予定は殺人的な過密スケジュールであった。今回はジブチが最初の訪問国だが、政府高官はもとより、自衛隊員への激励会、エネルギー大臣、ODEGG総裁との会食会議、国民議会議長への表敬訪問、アッサル湖サイト訪問、青年海外協力隊とジブチ在留民間企業との意見交換会と目白押しなのである。それだけの日程をこなしても中国のアフリカに対する行動に比べるとまだまだなすべきことは多いとの意見だ。

 三原団長の意見によると、中国の要人がかなりの頻度でアフリカ訪問を繰り返しているが、日本政府はアフリカ外交にもっと関心を持って推進するべきだと強調されている。

 中国はアジアの代表国日本のアフリカ支援を基礎にしてアフリカに乗り込み上手にアフリカの支持を取り込んだという見方もないではない。だが、本当のところをいえば、中国は50年前からアフリカへの援助は行っている。ある外交官は言う。「日本の外務省はアフリカ人が日本に来ても、予算がなくて接待もできない。中国は大接待をするからそんなつまらないことで日本はけち臭いといわれる」と。日本の外交官は認めたくはないだろうが中国政府はアフリカ諸国に対して日本よりも余程努力をしてきているのが事実である。欧米のマスコミも日本の報道機関もなぜ中国のアフリカ支援を過小評価するのかが私には疑問である。

新しい日本の若者たちがアフリカに賭ける心意気

 日本の企業はアフリカにリスクをかける気はないし、本格的に開発するには、まだまだ時間がかかるだろう。一方、アフリカに挑戦したい若者が意外に多いことが今回のミッションへの参加で分かった。海外青年協力隊の若者は当初はアフリカに来た理由を聞いてみると、電車の中の中吊りを見て軽いノリでアフリカにやってきたと云っていた。初めはそれ程の志を持ってアフリカにやってきた訳ではないのだが2年ないし3年間のアフリカ滞在中に考えが変わってくるというのだ。

青年海外協力隊の皆さんと筆者(ジプチの日本大使館公邸)

 今回のエチオピアやジブチやルワンダで会った協力隊の若者たちはそれなりにボランティアをやりながら自分も挑戦したい気持ちになってくるようだ。私自身も23歳の頃に2年間の海外でのバックパッカーの生活が自分の考え方を変えたようにJICAの海外青年協力隊の経験は今の日本の若者たちにとっての自己改造のツールになっているのかもしれない。一方、意外な事にエチオピアなんかでは圧倒的に女性隊員が多いのに驚いた。男子の隊員が少ないのは偶然だったのかもしれないが若い日本の女性の迫力は相当のものであった。昔のバックパッカー崩れの「何でも見てやろう」みたいなタイプは今は流行らないらしいが数年たって帰国する頃にはチャレンジ精神の強い若者になってアフリカと日本の架け橋になってくれることを期待した次第である。

日本の若いアントラプルナー(起業家)も
ルワンダを目指す

 一方、在ルワンダ日本大使館の主催で鉱業セミナーの後に三原団長とともに、ルワンダで事業を始めている若手の起業家を囲んだ夕食会に参加させてもらった。参加した日本人の若手の起業家はITビジネスや食品ビジネス、レストラン経営、教育ビジネスなど多様性のある挑戦をしていた。古い世代が「羹に懲りて膾を吹く」あいだに日本人の起業家がアフリカを目指しているのだ。日本の大手企業は自己保身が先に立ち「石橋を叩く」が若者たちは自由な発想で新事業に着手しているのだ。

 聞くところによるとルワンダはアフリカの中で最もビジネスチャンスの多い市場であり多くのディアスポラ(離散者)が故国に帰国してビジネスを成功しており、アフリカでは成功率が最も高いという事である。彼らからの情報ではルワンダがアフリカの中で最も起業しやすい国のNo.1になっているとの事だった。多分、政府のインセンティブも後押しをしているに違いない。


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