2024年11月22日(金)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2016年1月6日

アフリカを舐めていた訳ではなかったが

 暗黒大陸アフリカは飢餓の大陸であり、独裁政治の暴力国家が多く、マラリアや疫病の巣窟だと普通の日本人は思っている。南米のチリやペルーには銅鉱山に多額の投融資をしてきたが、アフリカだけは例外だったようである。あまりにも文化が違いすぎるし、あれだけ勢いに乗っていた日本企業もアフリカ市場だけは二重三重の障壁に阻まれたのだ。今から思えば当時の日本企業は経験不足のために歯が立たなかったのかも知れない。

 JICA(国際協力機構)やJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)は地質調査にDRC(コンゴ民主共和国)やアフリカの周辺国家に行くが、非鉄企業が果敢に鉱山開発のためにアフリカに投融資した話は聞いたことがない。学術的な資源調査と馬の目を抜くようなビジネスの「騙しの現場」とは大違いなのである。その意味でも現場主義の日本人がいなくなってしまったのでアフリカ開発の難易度は更に高まっているのだ。日本人には突破力が無くなってしまったのだろうか?

日本人は引きこもり
中国人はアフリカへ出しゃばりだした

中国企業による建設現場(エチオピア・アジスアベバ)

 日本的な経営手法は「手堅く、技術力を生かして正攻法で真面目」にやれば、最後には成功すると真剣に考えている経営者が大半だ。貿易立国日本は、商社マンが先兵となりアフリカでも南米でも中東でも、どこへでも飛び出していった。バブル景気の時には調子に乗っていた日本人も、その後の失われた20年にはすっかり自信を無くしたようだ。「石橋を叩いて渡る」のが手堅い経営だという内向きの守り一辺倒の経営手法が日本的美徳だと信じる人が大多数になった。なかでもアフリカ市場は「石橋を叩いても叩き過ぎることはない」とのコンセンサスが出来上がっているためにアフリカ市場における日本人の「成功体験」は皆無といっても過言ではない。

 一方の中国はまったく逆の発想でアフリカ進出に力を入れ出したのである。実は日本は中国に対する政府間援助(ODA)で1979年から2013年までの間に3兆円以上の資金協力を行ったが、一方の中国はそれ以上の資金援助をアフリカにしている。私に言わせれば、日本は中国に対して長年にわたって「政治的死に金」を使い、中国はアフリカ諸国に対して「政治的生き金」を使っただけの話である。

 日本政府は国連安保理の常任国入りを目指しているというが、常任理事国の中国が反対すれば実現しない訳で、率直に云えば勝てないゲームに時間を掛けるのは無駄と思うのは私だけだろうか?

ジブチ共和国の中国の軍事基地には
中国人が殺到している

どこにでもある中華料理屋(コンゴ・ルムンバシ)

 アフリカに来る中国の若者は仕事を探しにきているような労働者タイプが多い。今回もアディスアベバからジブチに行く飛行機の隣に座っていた30歳前後の中国の若者に「何しに来ているの?」と聞いたら、今回ジブチに来るのは初めてで「北京の会社からマネージャーとして派遣されてきた」と言っていた。

 帰る予定も聞かされていないし、給料が良いから来たとだけしか、言わないのだ。完全に仕事モードで不安も無ければ期待もしていない雰囲気である。兎も角、ジブチ行きの機内には中国人の乗客が多くてジブチに押し寄せているとも聞いた。アメリカやフランスや日本もジブチに小さな軍事基地を置いているが中国はその数倍もの軍事基地の建設に乗り出していると聞いた。

 ジブチ共和国の人口は90万人しかいない小国であるが、その地政学的な価値は計り知れない。ソマリア海賊の退治という名目で中国は軍事拠点を設ける事をジブチ政府と合意した。今やジブチ国内ではジブチのGDPを超える規模の建設をどんどん始めている。中国人労働者の投入数は正確には統計がないが、今は数万人でも、その内にジブチの人口の1割とか2割になるのは時間の問題であろう。

 米国の定員が3000人のところを4500人の海兵隊がいる。日本の自衛隊の駐在員数は570名(洋上隊を含む)のようだが中国人の数は直ぐに10万人単位になると予見する。ジブチという抜群の軍事拠点は将来のアフリカでの軍事力拡大の橋頭保になると予想される。中国が常に戦略的にアフリカ開発を実行している好例である。


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