2024年12月23日(月)

石油を読む

2016年1月9日

 昨年暮、12月18日。米議会上院は、原油輸出解禁を盛り込んだ2016会計年度歳出法案を、賛成65、反対33で可決。同日、オバマ大統領が署名し、法案が成立した。実は、米国政府は当初、輸出解禁に反対だった。低炭素エコノミー促進政策に逆行するという主張だった。が、民主党が風力発電と太陽光発電、育児保護の税額控除の延長と引き換えに、輸出解禁をめざす共和党に譲歩した。

産油国にもかかわらず禁輸を続けてきた米国

 共和党に解禁をロビイングしたのは、米国系石油会社。石油会社側には、国内でだぶつきぎみの原油を海外に持ち出すオプションが開けた。輸出解禁は40年ぶりのことである。

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 米国産原油の禁輸は1975年にはじまった。1974年10月、イスラエルとエジプト・シリア連合の間で第4次中東戦争が勃発、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、加盟国産原油の対米禁輸を発動し、第一次石油ショックが起こった。米国産原油禁輸は当時のアラブ産油国への対抗措置。過去の遺物だが、これが最近6年間、世界の石油マーケットを歪めてきた。

 つまり、こういうことだ。

 原油は国際商品だ。タンカーが産油国の港で原油を積み取ったあと、石油会社は、原則、世界のどこに運んでいってもよい。商品単価(FOB建、という)が確定しているから、アジアでも、ヨーロッパでも東アフリカでも、現地の石油製品市況が好調な場所に原油を持ち込む。その土地の品質規格に合った石油製品を、現地で原油精製して売り出せばよい。中東の原油も、南米やアフリカやアジア、ロシアの原油もそうなっている。

 ところが、今や世界最大の産油国となった米国の原油は、国策が「禁輸」ということで、国際マーケットに出てこられなかったのだ。


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