タイ、バングラデシュと2ヵ国でプロサッカー選手としてプレーした相原氏。「サッカースクールをやるために、もう1カ国くらいインパクトのある国でプレーしといたほうがいいなと考えたんです。それで、アフリカに行きたいな、と思って、選んだのがウガンダでした。バングラデシュのチームメイトにウガンダ人がいて、彼が『ウガンダはいい国だよ』って話していたのを信じて行ったんです。ウガンダに帰っていたはずの彼に電話してもつながらなくて、またいつものストリートサッカーをしていたら、彼に遭遇して。『なんだ、連絡くれよ』って言われて。そんな感じで3カ国目のプレーが始まりました。マラリアに罹ったり、サトウキビで給料を支払われたり、近くで発砲があったりと、色んなことがあったウガンダでした。その時は、『これがプロ選手の姿か』と思うこともありましたが、同時に『これはネタになるな』とも思っていましたね」
アンプティサッカー日本代表
“日本一面白いサッカーの人”は、フットワークの軽さが特徴である。自らの力で所属クラブを決めてきたバイタリティーと行動力はスクールを始めてからも変わらない。「初めてのタイがそうだったのですが、自力で何とかしようとしていたら、周りの人たちが面白がってくれて、助けてくれたんです。それなら全部自分でやってやろうと思ったんですよね。本来、プレーのことだけ考えてやれればいいのですが、選手としての才能があったら、どっかに引っかかっているんですよね。僕には選手としては何かが足りなかった。だから僕は自分で考え、もがきながら行動してきましたし、そこで得た経験が僕の財産になっています。だから、今スクールで出会う子どもたちには、最初っから人に聞いたり、助けを求めたりするんじゃなくって、まず自分で考えて、やってみて欲しいと話しています」
現在、スクールで教える立場にいるが、引退はしていない、という。2010年には、モンゴルの全国フットサル選手権に参加し、2012年には、アンプティサッカー日本代表として、ロシアワールドカップに出場している。病気や事故で手足を切断した選手が松葉杖をついてプレーするアンプティサッカーだが、相原氏はゴールキーパー(GK)として招集された。
「元サッカー選手がアンプティでキーパーやるなんて面白いですよね。僕は“1番面白いサッカーの人”が目標なんで、その時も速攻で『やります』って言いました。それと『キーパーは素人だけど、代表チームの意識を変えることはできますよ』とも。実際に日の丸を背負って戦うってことの意味を理解してない、旅行気分の代表でしたから」と語る相原氏を誘ったのは、現在もアンプティサッカー日本代表監督を務める杉野正幸氏である。
「彼が入ることで、GKから正確なフィードが可能になり、攻撃のオプションが増えました。ロシアでは私の指導力不足もあり、最下位という不甲斐ない結果になりましたが、ユタカがチームに植え付けたスピリットが、その大会では、0-4から同点に追いつき、初の勝ち点1獲得となり、2014年メキシコ大会のベスト16につながっていると思っています」と話してくれた。