「障がいは個性」に覚える違和感
スクールを開くためにタイに渡ったのは、2009年のこと。バングラデシュ時代に、障がい者サッカーのスクールをしようと考えていたが、選んだのは耳の聞こえない子どもたちのための教室だった。「知的障がいはどう対応すればいいか分からなかったですし、当時アンプティは知らなかった。ブラインドだとプロにはなれないだろうな、と思ったんです。耳が聞こえない選手でも頑張ればプロになれるんじゃないかって思って。日本のデフサッカーはちょっとハードルが高かったので、タイでプロ選手だった経歴を生かしてタイでスポンサーを見つけたり、関係作りから始めようと思って、再びタイに渡ったんです。
障がい者サッカーの指導者って、アマチュアか同じ障がい者が多いんです。元プロ選手がやっているのってあまりないんですよね。障がい者スポーツが、リハビリやメンタル面のケアとして捉えられているからだと思うのですが、でも、本気でいじけている人には届かないと思うんです。『君たち健常者でしょ』って言われちゃう。でも、僕なら手がなくてもプロになったって言えるんです。『言い訳してないで何かしてみようよ。俺は障がい者だけどプロ選手になれたぞ』って。周りの目を気にして前に進めなかったり、守ってもらったり優しくされて当たり前だと思っていたり、色々と諦めていたりする障がい者に伝えていこうと思ったんです。
耳の聞こえない子どもたちでも、「聞こえないことは個性だ」っていうのは違うと思うんですよ。障がいって言っちゃってるくらいですから、そんなの個性じゃないですよね。それを何もしないで個性と認めて欲しいというのが僕は嫌いなんです。僕もそうですけど、両手があった方がいいし、耳だって聞こえた方がいいじゃないですか。今は平然としていますが、思春期の時は僕なりに手がないことで悩むこともありましたから。
僕に関しては手の障がいがあって、それでも我が道を突き進む精神とコミュニケーションがあって、そこにサッカーがあって。それでようやく手の障がいが薄れて、個性的だって言われるようになったんだと思います。そうなって『そういえばコイツ手がなかったんだな』と思われて、『すげえ』ってなるんですよ。そういう順序で個性ってなるのに、まず個性だって認めて欲しいなんていうのは順序がおかしいし、認められないですよね。言葉は悪くなりますが、身体の障がいはもうしょうがないから、心まで障がい者になっちゃダメだよって伝えたいんですよね」