●生命がなくてよいとすると、我々自身が困ることになりませんか?
——少なくとも俺は困らないよ。物理・化学だけでこの宇宙を理解したい。物理・化学だけで終わっていれば非常にシンプルなんだよ。宇宙は十数種類のクオークと、数種類の素粒子の存在で説明できちゃうわけだから。
だけど、実際には俺が存在する。この宇宙は生命があるほうを選んだ。なくてもいいのに、あるほうを選んじゃった。俺がいない宇宙のほうがフラットでいいはずなのに、この宇宙は、フラットではない、ざわざわした生命がある宇宙を選んでいるわけ。もしかするとこの宇宙は生命が好きなのかもしれないね。そう考えると、俺もこの宇宙に生まれてよかった、と思える。
この点で象徴的だと思うのは、「鳥」という生物なんだ。炭素や窒素などの元素が集まって「鳥」という生物ができ、それが重力に逆らって空を飛ぶ。宇宙を動かす4つの力の一つである重力に逆らって。単なる炭素化合物では空を飛ばないでしょ。こういう不思議な現象を、俺は「ややこしい」と表現するんだけども、単に物理・化学だけで進行するならあり得ないはずの「ややこしい」ものが、なぜか、ある。
それで、この宇宙が抱える「ややこしい」、つまり、この宇宙に満ちているであろう生命の、その一部である自分とはなんなのか。そんなことを考えてもわからないかもしれないけど、この宇宙の一部である人間が、この宇宙のことを考えているのは事実だよね。それを見て、きっと、この宇宙は喜んでいる。そう思うと、自分も嬉しくなってくるでしょ。
●なるほど。重力に逆らって飛ぶ鳥と難問に挑み続ける先生が、なんだかかぶって見えてきました。さて、そんな先生の最近の活動には「神話生態学」という聞き慣れない言葉が出てきていますが、これは?
——神話もデータとして考えるということ。神話というのも、何かしらの真実を反映しているはずなんだよ。大半は嘘でも、嘘のつきかたにパターンがあって、そのパターンに真実が入っているはずなんだ。
神話を読むんじゃなくて神話を読み解く。いろいろとその切り口はあるだろうけど、俺の切り口は生態学。たとえば八岐大蛇伝説において、その全身が燃えるように真っ赤だというのは、川の水に酸化鉄が溶け込んで赤いということ。頭が8つに分かれているのは川が枝分かれしていることで、のたうちまわるっていうのは雨で流量が増えること。八岐大蛇のしっぽから剣をとったってことは、川の上流に刀を作る集団がいてそれを制圧したってこと。というふうに、出雲の神話と現代の科学がつながるんだよ。
その面白さに気づいたのは中国地方にいるからこそかもしれないね。縁あって広島に来たからには広島の地の利を生かそうと思ったんだ。生物海洋学という本業でいえば瀬戸内海だけど、俺の関心は中国山地。ここは神話の宝庫ですから。もし東北にいたら、民話をやっていたかもしれないけども。