だが、武田の前を投げる宮西はこう言う。
「久さんの場合、チームの勝ち負けを一身に背負って投げてる投手だから、ぼくとは力も立場も違うんです。ぼくのほうは、ピンチをしのいで、試合の流れを持ってきて、勢いをつける役割でしょう。コースを突こうと意識し過ぎるあまり、四球を出したりしたら元も子もない。実際、1年目、2年目のころは、四球を出して代えられたこともありました」
思い切り腕を振れ
そんなとき、当時の正捕手だった鶴岡慎也(現ソフトバンク)に、「中途半端な投球をして逆球になるぐらいだったら、思い切り腕を振って逆球にしろ」と助言された。以来、窮地になるほど「えいやっ!」と全力で投げ込むのが宮西のスタイルとなったのだ。
こうしてセットアッパーとしての確固たる地位を築くと、宮西はチーム内のまとめ役も買って出るようになる。ベンチやブルペンでチームメートを盛り上げ、機会を見つけては食事に誘うのだ。それも、投手だけでなく、野手にも自ら声をかけている。「勝つためには投手と野手とのコミュニケーションが必要不可欠だから」と宮西はこう説明していた。
「投手は野手のことを〝どうしてチャンスに打たんのや〟と思いがちだし、野手は投手のことを〝なんでピンチに歩かすんや〟なんて目で見てる。でも、ふだんからお互いの性格や気持ちを伝えておけば、〝野手が打てない間は投手が抑えよう〟とか、〝投手が点取られたぶんは野手が取り返してやろう〟とか、お互い気を使えるようになるやないですか」
そんな言葉の裏側にはかつてのチームリーダー・稲葉篤紀氏の影響がある。稲葉氏は常に投手と野手、生え抜きと外様を分け隔てせず、自ら牽引車を任じていた。稲葉氏が14年に引退してからは自分が同じ役割の一端を担わなければならない。そういう自覚を持つ宮西は、16年から栗山英樹監督にキャプテンに任命された。主将でもある中継ぎ投手がホールドの最高記録も樹立したら、そのときこそ宮西は本当に球史に残る存在となるだろう。
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