2024年11月21日(木)

したたか者の流儀

2016年5月24日

 年間100万個の新需要があるとすれば、6人に一人が貧困家庭の子といわれる現在、15万人はランドセル購入の不安があると推定できる。美談のタイガーマスクもいるが堂々と名前を名乗って、むしろ現金で与えるべきであろう。このデフレの20年で、価格が下がらなかったのが、学生服、ランドセルなどのスクール需要といわれている。教科書も同様だろう。ほかのビジネスで利益が出なくなり、ここに集中したとみた。

 自分の子供だけには、よい教育を授けて厳しい社会で生き延びてほしいという親の切ない願いで、経済合理性が働かない分野となっているのだろう。
では、我が子だけスポーツ店で買った5000円のリュクサックで学校に通わせる勇気があるかといえば、現状の日本では無理であろう。

 あの重く、硬い皮のランドセルを付けた孫の写真に目を細めるジジババがいる限りこの代物は生きながらえる気がする。日本で一番貧乏な子供には、タイガーマスクがついていることでもあるし。

ランドセル、風呂敷、ナップザック、軽登山ザック

 しかし、いつの日かランドセルがクラスに10人、風呂敷が10人、ナップザックが8人、軽登山ザックが7人となるであろう。その時こそ我が国の近代化が完成した日だと思うが考えすぎか。ところで、高校生の制服は、1970年代の学園紛争の最中に廃止されたケースも多いが、いつの間にか制服に戻っている場合もあると聞く。

 すなわち、制服は便利であり、結果的に安上がりなのかもしれない。その一方でランドセルは存在理由がないわりに、真夏に向けて飛ぶように売れるのは日本の不思議だ。一方、一般に書籍が売れない中、採用されれば必ず売れるのが教科書だ。したがって、売り込みに拍車がかかる。選定者にお車代1万円なんて安いものだ。特上の寿司を出してもおつりがくる。そのうち現金で日当まで出してしまった出版社もあるらしい。

 とはいえ、教科書が悪いのではない。ビジネスマン向けの書店で、かつての高校時代の数学や歴史の教科書が山積されているのを見たことがある。勉強しなおす場合、これほど相応しいものはないのだ。廉価ですべてを網羅しており、大きな間違いも少ない。あれこれと本を買う必要もなくこれで十分な内容となっているのが教科書だ。


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