2024年4月16日(火)

ACADEMIC ANIMAL 知的探求者たち

2009年12月20日

●しかし、先生のように原典にあたって自分の頭で考える、というのは一般人には少々酷です。

――そんなことはないよ。わしの専門は人生だなんていったけどね、究極的には、みんなそうだと思うのよ。いま会社員をやってる人も、じきに定年になる。じじいになったときには、「どう死んでいくか」という問題が必ず出てくる。みんな、いまは先送りにしているだけなんだ。

 「どう死ぬか」なんてことを書いた本もいっぱいあるし、インターネットなんかで安易に情報は入ってくるが、それをいっぱい読んでも、結局は自分のことだ。仏教は「どう死んでいくか」を問う宗教だともいえるが、それは同時に毎日どう生きるかということでもある。それを自分でどうするか。我々一人ひとりがどう生きて、社会にどう関わっていくかが問われ、試される。

●「消息」にしか触れないのが禅ですよね。真理は口に出したとたん違うものになる、というけど、他の宗教はもう少しはっきり答を示してくれるのでは?

――「消息」というのは、禅でよくいわれることだが、辞書に載っているような意味じゃない。どこにもいい説明がないんで、自分では「言葉ではズバリ端的に指し示すことができない真実のありようを、ほのかに示す周辺情報」というふうに定義してる。○○である、と断言したとたんに、真相から離れてしまうようなこともあるんだが、じゃあ答がないんか。いや。答は必ずあるはずだよ。

 ただ、答は一人に一個しかない。だから、簡単に答えられるわけがないし、そもそも答を他人に教えてくださいなんていうのは最低なんだな。人生というのは、どうやら自分で難問を出して、自分で答えを出さないといけないものらしい。問題提起するのも自分だし、答えるのも自分。自問自答だよ。人間というのは、そういう、いやな商売なんだ。わしの飼ってたゴールデンの犬は、そんなことは全然しなかったなあ。

 最近よく考えるのは、「想像力」についてだ。たとえば、縄文時代は中期で30万人ぐらいの人口があったという説があるが、30万人いて一番大変なのはなんだと思う? 食い物? いや、食い物は豊富だったと思うよ。たぶん女だよ。どう女を獲得するかが大問題じゃないか。たぶん奪い合いだ。昔は1対1じゃないから、必ずあぶれる男が出てくる。そうすると、あぶれた男はかなり離れた集落に女を求めて行き、そこにやがて文化が生まれる。というのが、わしの妄想というか仮説だ。文献なんか残ってないんだから、想像力を働かせるしかない。

 宗教の場合、もちろん文献を扱うんだが、それだけでいいのかどうか。ただ、想像は気をつけんといかん。文献を実証的に読むときに妙な想像を加えると、厄介なことになる。そういう研究論文も多いんだけど。

●たとえば、自分のお子様には、白隠の面白さを教えたんでしょうか?

研究室に掲げられた富士大名行列図
※写真をクリックすると花園大学国際禅学研究所HPの「白隠の富士大名行列図の意味するもの」(芳澤勝弘著)にジャンプします

――倅には教えたね。そして、教えられたこともある。昔、我が家の食卓に、「富士大名行列図」を掛けていてね。画賛(編集部注「がさん」:意味は次項参照)に「達磨の本当の姿を描いた」とあるのを見て気になったんだけど解読できなくて、何かふとした発見でもないかと常に掛けてかけていたんだ。


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