江戸時代、創意工夫を凝らした禅画で庶民に教えを広めた、
宗教改革者・白隠。白隠の研究に長らく没頭している
芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所教授)は、
もともと白隠のことを好きではなかったと言う。
「何事も自分の眼で見て、自分の頭で考えないと」
そう語る芳澤氏は、いかにして白隠に“はまって”いったのか。
写真右・白隠が描いた「朱達磨」 (所蔵:萬壽寺、撮影:堀出恒夫)
※写真をクリックすると花園大学国際禅学研究所HP「白隠学」にジャンプします。
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高井(以下、●印) 先生は、言ってみれば門外漢の立場からこの道に入られたわけですよね?
芳澤(以下、——) そう。でも、「素人の目線」も、かなり重要だよ。子供は、自分の眼で見て正直に「王様は裸だ」ということもできるが、その分野で知識や経験を積んで来た専門家には、王様が裸であるのが見えても「王様は裸だ」なんていうことはできん。人文科学の世界では、どうしても経験の蓄積が必要とされるから、えてして大家の説がはばをきかせる傾向がある。
僕の分野でも、とうぜんそういうことがある。ある大家が指導的な役割をしている研究会に参加していたが、どうにも納得できん解釈がいくつもあった。わしには、とことん自分の目で見て自分の頭で考えてみんと納得できん悪い癖があるから、いつまでも気にするんだ。
いろんな用例を集めたり、先人の研究成果などを調べていくと、いよいよ納得できん。そこで、とうとうガマンできなくなって、大家の説を批判する論文をいくつか書いた。「あいつ、頭がおかしいんじゃないか」と爆弾論文あつかいされた。わかっていないのに、わかるふりをしてしまう学者はけっこういる。
●禅文化研究所に移って編集者として仕事していた頃は、禅の世界にはもう目覚めているんですか?
――いやいや。というか、いまでも目覚めてなんかいないな。かじってはおったけども。
ただ、索引の仕事をして、禅の代表的な文献に触れている中で、白隠にも接するようになった。臨済禅で非常に重要な位置を占める人なので、編集者として、白隠の著作を整理する企画を思い立ったんだ。
複数の先生がたに参加してもらって、共同執筆で進めるという方針でいろいろ話し合ったけど、執筆者がなかなか決まらなくて。結局、一度企画は頓挫した。でも、「だったら、言い出しっぺがやれ」と言われてね。しょうがないから自分でやることにした。それまでに白隠についての本はずいぶん出ていたんだが、どれもどこか納得できないものを感じていたんで、自分なりに白隠に取り組んでみるのも意味があるんじゃないかと思うようになっていた。