こうした中、国営新華社通信や中央テレビに桂敏海が登場したのは1月18日だった。そこで、桂は「2003年に浙江省寧波で飲酒運転の結果、女子大生を死なせた事故の罪を償うため帰国し、警察に出頭した」という、不自然な自白を行う。「強制的な拘束」という批判を避けるため公安当局がストーリーをつくり出したとの見方が強い。李波らは「自分の意思で本土に渡り、捜査に協力している」と一貫して述べているが、中国当局が連行を正当化するため語らせているものとみられた。
林栄基は6月14日、8カ月ぶりに香港に戻ることを許された。この際、「(銅羅湾書店から)書籍を購入した中国本土の顧客データが入ったコンピューターのハードディスクを李波から受け取り、16日にハードディスクを持って(中国に)戻ってくる」よう中国当局から要求された。
しかしその要求を無視して、中国本土に戻らなければならない16日に記者会見に臨んだ。香港に戻って2日間で、銅鑼湾書店関係者の失踪事件に抗議するデモが香港で起こったことを知り、「この事件は自分個人や書店の問題ではなく、香港人全体そして『一国二制度』に関わることだ」と、真相の公表を決意したのだという。
「中央特捜チーム」の政治案件
林栄基は1994年、銅鑼湾書店の創設者だった。書店が「マイティ・カレント・メディア」に買収されて以降も店長を務めた。
香港メディアの報道によると、林は昨年10月24日、広東省東莞に恋人に会いにいくため、香港から深圳・羅湖の税関を通過しようとした際、警官に連行された。その後、11人が7人乗りの車に彼を押し込み、身分証などを没収した。何を聞いても、答えは返ってこなかった。
翌日早朝7時すぎ、目隠しされ、鳥打ち帽をかぶせられて列車で13〜14時間走り、到着したのは寧波だった。下車後、45分程度車で走り、大きな建物の2階の一室に収容された。まず衣服を全部脱がされて検査を受けた。そしてこう告げられ、署名を迫られた。
「家族とは連絡を取ってはいけない」「弁護士も雇ってはいけない」
2人1組の看守が24時間態勢で監視した。歯ブラシにはひもがついており、歯を磨く際には看守がひもを持ち、磨き終えれば返さなければならなかった。自殺防止のための措置だった。
林栄基は、自分を捜査したのは「中央専案組(中央特別捜査チーム)」だと明かした。「寧波市公安局」という地方当局でなく、共産党中央の直轄下で捜査される政治案件と言えた。取り調べ官が特に尋問したのは、習近平国家主席に関する本や、習指導部が2013年に言論統制徹底のため語ってはいけないと定めた7つの禁句「七不講」(憲政・民主主義、公民社会など)についての書籍だった。