対潜哨戒機も早期警戒機も国産計画が進められていた。ところが、ロッキード社の工作後に対潜哨機の国産化は白紙に転換され、P3Cの買い入れはこれまでに100機、総額1兆円にものぼっている。
児玉は“国務省”だった
日本への軍用機の売り込みは、当時のニクソン大統領が主導した。ニクソンはカリフォルニアを政治的基盤にしており、ロッキード社はその重要な基盤だった。
72年8月31日、ハワイにおいてニクソン―田中会談があった。これに合わせて大統領府は、日本に売り込みを図る物品のリストを作った。そのトップにP3CとE2Cがあった。この会談は当時、日米の貿易不均衡がテーマになったとみられ、それは日本による民間機と原子力発電所の輸入によって是正される方向性が決まったとされた。
しかし、ニクソン大統領の国家安全保障担当補佐官のリチャード・アレンは、次のように証言する。
「ニクソンもキッシンジャーも貿易不均衡を問題にしていなかった。P3CとE2Cを売り込むことが日本に売り込むリストの最上位だった」
「田中は日本語でいえば、『したたか者』。タフ・ネゴシエーターだった。アメリカの狙いは、自分の懐を傷めないで、我々の防衛力を強化することにあった。それによって軍事力が高まり、それは同盟国にとってもよいことだった」
今回の番組の白眉は、ロッキード事件を指揮した、主任検事である吉永祐介が密かに保存していた約600点の捜査資料である。
当時の検察当局が軍用機に関する疑惑も視野に入れていたことがわかる。日本側が米国の司法省に委託した、ロッキード社のアチボルト・コーチャンの証言がある。
「児玉の役割は、P3Cの売り込みのために、日本の政府関係者に働きかけることだった。児玉は次に通産大臣になる人物が誰なのかを教えてくれた。また、特定の大臣と親しくなっても、交代が激しいので無駄になることも。児玉は私の『国務省』だった」