それから4か月を経た翌年の一月だった。東京での再会で、リベラ攻略に水を向けると、イチローは淀みなく奥義を開陳した。
「リベラの内角の膝元にくるカットボールを打ちにいけば、詰まって三塁方向へのファウルボールでアウトを取られる。打ってはいけない球。だけど、あの時、僕はとっさに足を開いて打ったんです。だから打てた」
通常、下半身が開けば、バットに力は伝えられない――。この疑問へのイチローの付言が秀逸だった。
「つまり、右足を外側に開いて打つのではなく、右足を内側に入れて開くんです」
その後、何度も繰り返し見た映像から、イチローの上半身は開き気味となっているが、確かに右膝は締まり回転力を蓄える見事な形になっている。あの日、りりしい顔で奥義を詳述したイチローは最後に言った。「自分でも技あり! と感じました」。
こんな感情の表出は滅多にお目にかかれない。サヨナラ2ランの後、イチローがゆっくりとベースを回ったのは、この上ない喜びを噛みしめていたからだろう。
安打産出の起点は右足
リベラ攻略の鍵となった右足は、イチローの打撃で重要な役目を担っている――。
84年ぶりにジョージ・シスラーが持つ年間最多安打記録「257」を更新した04年、イチローは「進化の言葉が当てはまる」と自身の打撃を表現している。これには、シーズン途中の夏場前に修正した構え――右足を開き気味にして背筋を伸ばし一塁ベンチ方向にバットのヘッドが寝る――が盛夏の爆発的な安打量産に結び着いたが、実は、その前年オフの意識の変化が形に表れたものだった。