昇進できるかどうか正念場
来年秋に5年に一度の共産党大会を控え、「王外相には焦りがある」という見る向きも多い。「日本通」という経歴を払拭して、強気の外交を求める党内、国民の声に応えられる外相になり、国務委員(副首相級)に昇格できるか、どうかの正念場だからだ。習近平の福建省勤務時代の部下で、共産党中央対外連絡部の宋濤部長らと競い合うことになりそうだ。
もはや「対日強硬派」に変わった王毅が、初めての来日に臨む直前の8月5日以降、中国海警局の公船と漁船が大挙して尖閣諸島周辺に押し寄せた。8日には過去最高の15隻の公船が接続水域を同時航行し、周辺で操業する漁船は400隻に上った。5〜9日に領海侵入した公船は延べ28隻に達した。
中には、軍の指揮下の準武装の漁船「海上民兵」が混じったが、これは中国の伝統的な手法である。日中平和友好条約の締結交渉が進んでいた1978年4月、尖閣諸島周辺に約200隻の中国漁船が集まり、そのうち数十隻が領海侵入を続けた。
当時外務省中国課にいた杉本信行氏(元上海総領事、故人)の著書『大地の咆哮』によれば、山東省煙台の人民解放軍基地と福建省アモイの軍港の2カ所から約200隻の漁船に指示が出ていたことが、海上保安庁の巡視船や飛行機による中国側の無線傍受で判明した。日本との条約交渉は当時副首相だった鄧小平が積極推進派。しかし共産党内部には尖閣諸島の領有権を譲らず、交渉に反対する勢力もいた。杉本氏は著書でこう回顧している。「(鄧は)文革の残党である極左派を含む共産党全体を完全に掌握してきれておらず、復活した鄧が力を伸ばすなかで、反対勢力の動きは当然あったはずである」。
2008年12月には、尖閣諸島の問題は「棚上げされた」と主張する中国政府自らが、それを破っていることを証明する事態が発生した。当時の首相、温家宝は日中韓首脳会談出席のため福岡を訪れた。その直前、中国の海洋調査船2隻が、尖閣周辺の日本領海内に侵入した。これも、同年6月の東シナ海ガス田共同開発合意に反対する勢力による牽制という見方が出た。