2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2016年8月30日

習近平は軍を掌握できているのか

 「日本を取り込む」というのが、王毅の初来日に課せられた命題だった。そこに現れたのが、大量の公船と漁船である。しかも、河北省の避暑地・北戴河で、長老も交えて夏恒例の非公式会議が開かれ、政治・経済・外交問題の懸案を討議している最中だった。

 「対中関係改善」に動き出した中で、誰が一体、公船と漁船に指示を出したのか。断定はできないが、対日接近を図ろうとした習近平を牽制したい勢力が起こしたのではないか、という見方がある。南シナ海で対中批判の急先鋒である安倍政権に対する反発は、特に軍部の間で高まっていた。また仲裁判決後、南シナ海で強めた主権誇示のための行動を東シナ海にシフトさせる必要性もあった。尖閣周辺に派遣された一部の漁船は武装した「海上民兵」とされ、軍の指揮下で動いた可能性が高かった。状況は1978年時と似ている。

 「反腐敗闘争を強め、軍の大規模改革を断行している習近平への党内や軍内の批判は高まっている」(共産党筋)とされる中、習近平がどこまで軍を完全掌握しているのか、疑問を投げ掛けざるを得ない現実が露呈した。

 一方、習近平は自分が望んでいなくても、党内の求心力を高めるため、対日強硬路線の動きが軍内や党内にあれば、それに反対するわけにはいかない。そうした結果、尖閣周辺に大量の公船・漁船が送り込まれたのではないだろうか。

東京での「笑顔外交」

 しかし北戴河会議が8月中旬を前にして終了すると、党内は「G20成功」に向けて舵を切ることになった。日本政府がいくら抗議を強めようとも、対日関係改善は既定路線であったかのように、王毅は来日した。

 筆者は王毅が来日した23日午後、時事通信の配信記事で、王の来日でのスタイルについて「『こわもて』と『対話』」と解説したが、どちらかというと「対話」を優先したものとなった。

 23日夕、羽田空港に到着すると、さっそく待ち構えていた日本メディアの前に立ち、取材に応じ、「(尖閣諸島を含めた)東シナ海、南シナ海はどうか」と質問された。

 「当然、われわれの間の問題は何でも話し合える。東シナ海問題では最近、各方面の報道があるが、(漁船が押し寄せたのは)漁のシーズンだからであり、(日本側は)あおり立てている。中日双方は、現在の情勢をうまくコントロールし、中日関係の改善プロセスを推進し続けなければならない」

 そう笑顔で取材に応じ、日中韓外相会談の夕食会会場の丸の内・パレスホテルに向かった。1時間ほどの夕食会を終え、玄関口に来たのは韓国の尹炳世外相だけで、王、岸田両外相は1時間経っても出て来ない。

 2人は「お茶を飲みながら話し合った」(王毅)という。24日の日中正式会談に向けた調整だったが、ホテル玄関に現れた王毅は笑顔で手を振って車に乗り混んだ。さらに宿泊のホテルニューオータニに帰った際も「たくさん話し合った」と機嫌は良かった。


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