「中国は日本の友か敵なのか」
筆者は北京特派員時代、しばしば国際会議の場で王毅を取材した。対外的には日本語を使うことはないが、日本人記者が近寄っても、丁寧に中国政府の立場を説明してくれる。2015年8月、クアラルンプールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議を取材した際、宿泊ホテルで王の帰りを待っていた日本人記者に対し夕食で出たという南国のフルーツをごちそうしてくれたが、安倍晋三首相の「戦後70年談話」を控えた時期であり、歴史問題への厳しい姿勢を示した。
王毅の日本に対する厳しい発言は数えれば限りがない。
16年3月の全人代記者会見では「日本の政権が中国を友人と見ているのか、それとも敵と見ているのか。対中認識の問題が病根だ」と迫った。
蒋介石が「日本は敵か友か」という論文を側近に書かせたのは、満州事変から3年後の1934年。王毅は日中関係の緊張が続く中で、自身の発信によって安倍政権の対中認識に影響を与えようとするとともに国内向けに強気の姿勢を誇示した。
16年4月に北京を訪問した岸田文雄外相と3時間20分にわたって会談した。「誠心誠意で来たのであれば、歓迎する。日本側は対抗意識を捨てよ」と強調した。
日本に関する発言ばかりでない。「あなたは中国に来たことがあるのか。中国の人権状況を最も理解しているのは中国人だ」。6月、カナダで外相会談を行い、共同記者会見で、カナダ人記者が中国の人権問題に関して自国外相に向けた質問に口を出し、激高した。7月には中国の「全面敗北」となった南シナ海問題仲裁判決に関して「法律の衣を羽織った政治的茶番だ」と言い切った。
「それが習指導部の雰囲気だ」(中国人研究者)。それに逆らえない王毅は、忠実な実践者となった。