2024年12月4日(水)

オトナの教養 週末の一冊

2016年9月8日

 著者自身、800メートル走の大学代表選手として活躍した経験がある米国人ジャーナリスト。本書執筆時には『スポーツ・イラストレイテッド』誌のシニア・ライターをしていたという。

 アスリートとジャーナリスト。二つのまなざしでとらえたスポーツ科学の最先端は、共感にあふれ、かつ客観的で、心を打つエピソードに満ちている。

「1万時間の法則」は本当か

 まず冒頭で興味を引かれたのが、「1万時間の法則(あるいは10年の法則)」だ。

 「誰がどんな分野のエキスパートになるのにも、必要かつ十分な時間」が1万時間である。つまり、「意図を持った練習」が「1万時間に足りなければ誰もエキスパートになれないが、1万時間に達すれば誰もがエキスパートになれる」。メディアによって喧伝された「法則」が事実か否か、検証することから本書は始まる。

 そもそも発端となった論文の内容はどういうものだったか、その後の研究の展開はどうか、さらには、自分自身を実験台にして「1万時間の法則」をテストしているゴルファーの生活まで紹介され、引き込まれる。

 技能習得に関するありとあらゆる研究を調べた結果は、じつに興味深い。食料品店のレジ打ちから航空管制業務にいたるまで、複雑な業務は、訓練によって個人差が縮まるどころか、むしろ広がった。

 <持てる者はさらに与えられて富み栄え、持たざる者はその持てるものさえも取り上げられるであろう>

 「マタイの福音書」の一節に由来する「マタイ効果」が、技能習得にもあるというのだ。

 「1万時間の法則」は「誰でも努力すれば夢はかなう」というスローガンのために利用されてきたようなものだった。どんな目的であれ、科学的事実をねじまげることには賛成できない、という著者の態度に私も賛成だ。


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