2024年4月26日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年11月6日

大聖堂の祭壇。巡礼成就祝福ミサで神父から巡礼者ひとりひとりが聖餐のパンを拝領

 そのあと巡礼者事務所に出向き巡礼手帳を提示して巡礼証明書を発行してもらう。百人近い巡礼者が列を作って並んでいたがお互い無事巡礼が成就したことを祝福しあっていたらあっという間に順番が来た。午後1時から大聖堂での巡礼成就祝福ミサに参列。

 夕刻、18世紀の神学校を改装した巡礼宿にチェックイン。一番安い大部屋のベッドを希望して割当番号をもらい部屋に行って荷物を置いてから厳かな神学校の建物をぶらぶらと見て歩いた。

聖ヤコブの肖像が描かれたラテン語で記載されたサンチアゴ巡礼証明書

 バルコニーで出会った神父と挨拶したら話が弾んでナポレオン戦争後の神学生の物語であるスタンダールの名作“赤と黒”について語った。ヘルマン・ヘッセの“車輪の下”も同様に神学生の物語であるが、いずれにせよ19世紀までは貧しい家庭に生まれた賢い子供が世に出るには神学校が唯一の“天国への階段”であったのではないかというような話をした。日本でも19世紀ころまでは同様で貧乏百姓の家では賢い子供をお寺に預けることが一般的であったと説明すると神父は大いに興味を持ったようであった。

 神父は私が大部屋にいると知ると「若い人たちと一緒だと騒がしくてゆっくり休息できないでしょう」とわざわざマネージャーに指示して空いている個室を無料で用意してくれた。

 共同キッチンでスパゲッティを茹でているとイタリア人の若者がひき肉とナスの炒め物やベーコンスープを分けてくれた。彼はシェフを目指して料理人修行していると言った。そこに偶然にも韓国法務省のエリート官僚であるアレックス(本連載第12回参照)も食堂に入ってきた。巡礼の最後に敬愛するアレックスに遭遇するとはやはり神の思し召しであろうか。しかも彼は赤ワインとビールを持参している。周囲の欧米人も加わり皆でテーブルを囲んでビールや赤ワインで巡礼成就の乾杯をした。

 この神学校にいるといろいろとご利益があるようで流石に聖地であると神に感謝した。

サンチアゴの初級神学校を改装した巡礼施設

スペイン最西端、Finisteraの岬を目指して新たな門出

 7月5日、朝、神学校を出発しようとすると正門前でイタリア人仲間とおしゃべりしていたサルジニア出身の元気少女アリーチェと再会。彼女は仲間と一緒に聖都サンチアゴから更に120キロほど西方に位置するFinisteraまで歩くという。

 アリーチェは「ジュリアは今朝早くバスでFinisteraに向かったわ。イタリアへの帰国フライトまで時間がないので歩くのを諦めたの。タカに会ったらよろしく伝えてと言っていたわ」

 若き日の故ダイアナ妃を彷彿させる美貌のジュリアに二度と会えないのかとすこし落胆した。“将来考古学者になって未知の文明の遺跡を発掘するのが私の夢なの。いつか新聞に私の名前が出たら私のことを思い出してね”と恥ずかしそうに語っていた内気なジュリアの横顔を思い出した。秋にナポリからローマの学部に移りギリシア・ローマ以降の考古学を勉強すると言っていた。バックパッカー旅での出会いは一期一会であるが、それだけに一瞬の出会いが永遠になるのであろう。


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