信長には、人間的な魅力があります。厳しく怖い面もある一方で、やさしさも兼ね備えていました。私が、信長をあらためて好きになったのが、秀吉の正妻・おね(ねね)に送った手紙(書状)です。これより前に、おねが信長に、秀吉のほかの女性との関係への不満を漏らしたようなのです。それを受けて、信長がおねに出した手紙(書状)が今も残っているのです。
優しさあふれる信長一側面
そこには、おねの容姿が以前よりも勝っているとほめ、秀吉が不満をもらすのは言語道断、どこをたずねてもおねほどの妻を迎えるのは「はげねずみ」(秀吉のこと)には難しいだろう。嫉妬を起こさないように、とたしなめているのです。そして、秀吉にもこの文面を見せるように、とあります。信長は人の心がわかる、人心掌握の名人だったのだな、と思います。
当時も今も、仕事ができない人はダメですよ。といっても、仕事ができるだけでは、人はついていきません。そこには、やさしさがないと。やさしさは、想像力がないと持つことはできないものです。『信長公記』に記録されていますが、信長はゆきずりの物乞いに、木綿の布切れを与えたこともあるそうです。
やさしい一面をもった人だったのでしょうね。人の心がわかるような洞察力があるから、人の適性を見抜き、適材適所の布陣をしいて、強い武将になることができたのだと思います。
もっとも「いい上司」
戦国武将の中で、もっとも「いい上司」だと思うのが、立花道雪です。道雪は、九州のキリシタン大名・大友義鎮(宗麟)の重臣の一人であり、参謀として大友家を支えました。
若いころに木の下で日陰をしているとき、雷が落ちてきて、半身不随となってしまったのです。それでも、合戦には輿(こし)に乗って出ます。100人ほどの兵が、その周りを囲んで守ります。道雪はそばに刀と鉄砲を置き、「えいとう、えいとう」と声をあげながら、1メートルほどの棒を持って、輿のへりを叩いて拍子をとるのです。
戦に強いだけではないのです。部下から慕われてもいました。手柄を立てることができない者がいると、こんな言葉もかけていたようです。
「それはたまたまのことだ、お前が弱くないことは、私がちゃんと知っている、明日にも戦場に出るのに、誰かにそそのかされて抜駆けなどしてはならぬ、それは不忠というものだ、自分の身を大切にしてこの道雪のためにつくしてほしい、お前たちをひきいているからこそ、この年寄りが敵の真中に身を置いてもひるまないで戦うことができるのだから。
若い者が、来客の前で粗相(そそう)をしたときは、それを責めることなく、本人が鎗を使い、敵と戦う様子をまねてほめたそうです。「私の家来は少々行儀が悪くはありますが、合戦のときは実に鎗に巧みで、火花を散らして戦いますぞ」。粗相をした者は涙を流し、喜び、道雪のためなら命を捨ててもいいと思い、懸命に忠勤に励んだようです。