中牟田の記録に基づいて、その場の遣り取りを再現してみたい。なお「●」は幕吏、「▲」は道台。会話は簡略に現代語訳。中牟田の評語は原文のままに《 》で括っておく。双方の当たり障りのない挨拶が終わると、道台が切り出す。
餘りに正直なる應答
▲ 過日は当方をお訪ね戴きながら、返礼が遅れてしまいお詫び申し上げます。
《呉道台の挨拶也。辭令巧妙、先を越されて幕吏聊か狼狽の氣味あり》
● 先般は一同が過分な饗応に与かり感謝致します。
▲ 商売の手応えは如何でしょうか。
《探らるゝ質問なり。幕吏受太刀となる》
● あまり捗々しくありません。
▲ ともかくも初回でもあることですし……。
《質問益々鋭利、受太刀もしどろもどろとなる》
● 帰国後、政府に報告したうえで再度の訪問もありますので、その旨をお含み願いたい。
▲ 持参された物資は残らずさばけましたか。
《追窮少しも緩まず。幕吏赧顔の至りなり》
● 残らず売却するつもりでおりましたが、いまだ所期の成果を挙げてはおりません。
▲ 上海には何時頃までご滞在で。
● 未定。日本人の体には具合の好い気候でもなく、持参した物資が売りさばけ次第、可能な限り早めに帰国のつもりです。
《知らんとする要領は皆知りたり。餘りに正直なる應答にて、流石に氣の毒にもあり、道臺、温顔にて慰めて曰く、》
▲ 上海は貴国と近い。蒸気船なら2、3日で往復できますので、時々、お越し下さい。
《道臺を免れて幕吏吻とす》
● 近日中に道台の役所に参上し、種々ご相談致したく。
▲ 過日は結構な品々を賜り深謝。日々、楽しんでおります。
● つまらないもので恥じ入る次第です。(原文は「些少の品にて恥入候」)
▲ 日本製品は殊に品質に優れており、驚くばかりです。
清国は亡国の瀬戸際に立ち、上海は英仏両国に守られて僅かに命脈を保つ始末――まさに惨状というべき情況だが、緩急自在で巧妙な外交手腕だけは健在だったらしい。その姿は、「餘りに正直なる應答」に終始する幕吏とは対照的だ。
時にたわいのない挨拶で、時に日本製品の素晴らしさを讃えて座を和ませ、肝心の貿易工作が不調であることを探り出す手腕に幕吏はタジタジ。「道臺を免れて幕吏吻とす」との中牟田の一節に、道台に翻弄されるがままに終始した「受太刀」の幕吏の緊張が解けた瞬間の姿が浮かぶ。まさにホッと、だろう。
だが幕末のみならず、1949年の建国から現在まで、いや建国以前にしても、日中交渉に際し、日本側は「餘りに正直なる應答」と「受太刀」に過ぎた嫌いはなかったろうか。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。