勿来の豪邸
Mさんにインタビューをしたのは、勿来にあるMさんの家である。Mさんは、長男の勤務が茨城県の笠間に変わったのを機に、富岡に家を残したままの状態で勿来に中古の家を買った。土地が240坪、建坪が53坪ある。首都圏なら豪邸の部類に入るだろう。
富岡の家も6LDKの大きな家だった。最盛期、富岡の家には11人が暮らしていたというから賑やかだったのだろう。勿来の家も、盆暮れ正月に一族郎党が集まれるように大きな家を選んだということだが、それにしても広い。いわきの人から「避難者はたくさんお金を貰っているからいいね」と嫌味を言われたことが何度かあったというが、この豪邸を見てしまうと、正直言って、そう言いたくなる気持ちもわからなくはない。
しかし、Mさんの富岡の家は居住制限区域ではなく、避難指示解除準備区域にあるため、それほど大きな補償金を貰ったわけではないという。
「杭一本で緑(避難指示解除準備区域)とか黄色(居住制限区域)とか赤(居住制限区域)に分かれるわけだけど、いったい誰が杭の位置を決めるんだかな。うちらが貰う補償金はせいぜい帰還困難区域の人の70~80%ぐらいじゃないかな。それを、地元(いわき)の人は勝手に計算して、あんたたちはたくさんお金貰ってるからいいねって言うわけさ」
Mさんの妻が言う。
「たしかに補償金も貰ってるし、毎月の避難手当も貰ってるけど、家も土地も、家財道具も全部なくしたんだからね。本当に体ひとつで、裸で逃げたんだからね。避難者ぶるつもりはないけど、そこんところはわかって欲しいわね」
住人が避難して数年経った家は、多くの場合、ネズミの被害がひどくてとても人間が住める状態ではなくなってしまうと聞いた。しかし、Mさんの家は家財道具の処分をしてもらっていたのでネズミの被害はなく、住もうと思えばいつでも住める状態が保たれている。
しかし、実際に帰還するためには、解決すべきいくつもの困難な問題が横たわっている。
第一は、生活インフラがないことだ。まず近くに病院がないし、食料品や衣料品を買えるスーパーマーケットもない。さらに深刻なのは、水道水だ。避難に際して、「あの程度の放射能はなんともない」と豪語していたMさんも、富岡町の飲料水は危険だと言う。
「富岡は、木戸ダムから飲料水を引いてるんだけど、木戸ダムの底のヘドロはものすごい線量があるんだ。上澄みを飲めばいいとか、濾過すれば大丈夫だとか言ってるけど、いくら目の細かいフィルターでろ過しても取れない放射性物資があるからね。飲み水だけは、原発のプロの俺の目からみても絶対にダメだわ。富岡に泊まりに行く時は、水買っていくんもんな。そう考えるとさ、俺たちはよくても子や孫を富岡に連れて行く気にはなんねぇな」
Mさん一家はまだ住民票をいわきに移していないから、身分としては避難者のままであり、現在でも避難手当を貰い続けている。しかし、Mさんの家がある富岡町の避難解除準備区域は、来年3月で避難指示が解除される。そうなれば、避難手当はあと1年しか貰うことができない。
「富岡とか楢葉の人は、四倉(楢葉町の南。いわきの中心地の北)あたりにたくさん住んでる。みんな故郷に近いところに住みたいんだよ。本当はいわきに住民税払わねばならないんだろうけど、住民票移すと故郷がなくなるみたいだから、住民票の移動は嫌だな。富岡に置きっぱなしだ。