2024年12月7日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年12月11日

[秋のマルタ、シシリーを巡るキャンプ旅]
(2015.9.29-10.26 28日間 総費用22万円〈航空券含む〉)

マルサシュロックの老人、
「ロイヤル・ネイビーがいたころがいちばん良かったよ」

「城壁の町」古都イムディーナの夕暮れの街路

 10月9日 マルサシュロックの港で夕方の海を眺めながらベンチに腰掛けて缶ビールを飲んでいた。暇そうな地元の老人が隣に座ってぼんやりと沖を眺めていた。この老人、レー氏は76歳の地元マルサシュロック生まれ。退職するまで地元の造船所で働いていた。

 レー氏は第二次大戦中のドイツ軍の空襲を体験している。子供のころ空襲警報が鳴って港の近くの岩山のシェルターに避難した記憶があるという。ドイツ・イタリア枢軸軍と連合軍はマルタを巡って熾烈な攻防戦をしたという。

 レー氏によるとナポレオンがマルサシュロックの港に上陸してマルタは一時的にフランス領となった。しかしナポレオン戦争後マルタは英国領となり長年英国海軍の地中海の拠点であったという。

 第二次大戦後マルタは英国から独立したが、その後も英国地中海艦隊はマルタの本拠地を維持していた。レー氏によるとその頃がいちばん良かったという。英国連邦(コモンウェルス)の一員として独立国家として繁栄し、英国地中海艦隊が常駐しているおかげでマルタ周辺の海域は平穏であり周囲からの侵略や海賊行為を心配する必要がなかった。

 ところが35年ほど前(正確には1979年)に英国海軍がマルタから完全撤退してから経済的にも苦しくなり、同時に常に安全を脅かされるようになったという。レー氏が働き盛りの40歳ころに英国海軍が撤退すると造船所は仕事が激減。

マルタ本島中央部の古都イムディーナの城壁の正門

 またリビアのカダフィ政権はさかんにマルタの漁船の操業を妨害しテロ行為を繰り返した。その後中東の春によりチュニジアやリビアの政情が悪化すると大量の難民がマルタに流入する事態になった。

 「だけど1500人くらいしか軍事力を持っていないマルタは自力では沿岸警備すら十分にできないのが実態だ。マルタのような小国が独立と安全保障を自国だけで維持するのは不可能だ。ロイヤル・ネイビーに戻ってきてもらうかNATOに常駐してもらうしかないよ。」とレー氏は嘆いた。


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