留学して日本の文化に触れる
17歳の時、転機が訪れる。青少年交換留学プログラムを利用して、日本への留学の切符を手に入れる。留学期間は1年間であったが、本当に貴重な経験ができたという。留学先の高校は、偶然にも仏教系だったことから、有名な寺院で僧侶生活を体験する2泊3日のコースにも参加する機会を得た。
座禅、写経、法話、すべてが新鮮だった。
「なかでも印象深かったのは食事でした。湯をお椀に入れご飯粒を一粒さえ残さずきれいに食べる『もったいない精神』には驚きました。物音ひとつ立てずに食事をし、静寂に包まれていると不思議と作り手への『想い』や『感謝』の気持ちが湧いてきました」。厳しい環境を体験することで得た経験は大きかった。
ホームステイ先は、1年間で実に6箇所も変わった。おかげで様々な家庭で日本の文化に直に触れることができた。ときには、文化の違いなどから、ステイ先の父親と人間関係がうまくいかなくて苦労もした。
「その時の自分は若く、ものごとに対して厳しい部分があった。表情も難しい顔をしていたと思います。そういうところがあったから周りと上手くいかないこともあった」
ものごとは、辛いことでも見方を変えればポジティブに捉えることもできる。前向きになれば自然と笑顔になり、周りとの関係も良好になっていく。それに気づかせてくれた言葉は、「『笑う門には福来る』です」とモクタン氏は微笑みながらいう。
ブラジル帰国後、地元の大学へ進学するが、どうしてももう一度日本に行きたくて、再度留学を決意した。猛勉強の末、倍率の高い奨学金制度の試験に3回目の挑戦にしてようやく合格する。そして、再び日本の地を踏むことになる。日本では、大学院でアニメーションについて学んだ。卒業後の進路はアニメーション関連の会社に就職を希望するも、当時はリーマンショックの煽りがアニメ業界にも及んでいたこともあって叶うことはなかった。
「それでもブラジルに戻るつもりはなかった」
日本で勝負すると覚悟を決めていたからだ。
卒業後は、漫画とは全く関係のないIT関連の会社で営業や経理の業務に従事する。一方、休みの日には漫画を描き続け、コミックマーケットなどで作品を販売した。地道な努力を重ねたことが功を奏し、編集者の目に留まり、念願の漫画家デビューが決まった。スカウトした編集者はモクタン氏の絵を「こまかなところまで手をかけられており、見る人を感動させる」と評価した。5年ほど勤めていたIT関連の会社は退職し、昨年5月より漫画家を本業として活動している。