アームコと川崎製鉄の合併がもたらしたもの
さて、筆者が育ったオハイオ州のミドルタウンという町は、アメリカのアームコという名門企業の製鉄所を中心にかつては栄えた企業城下町だった。アームコが1989年に川崎製鉄と合併した以降も、地元の人々は日本への反感もあり、川崎の名前を使わずにアームコと呼び続けたという。アメリカ中西部に押し寄せる国際化の波と、それに対する白人労働者たちの複雑な心境が次の一節では鮮明だ。
The other reason most still call it Armco is that Kawsaki was a Japanese company, and in a town full of World War Ⅱ vets and their families, you'd have thought that General Tojo himself had decided to set up shop in southwest Ohio when the merger was announced. The opposition was mostly a bunch of noise. Even Papaw-who once promised he'd disown his children if they bought a Japanese car-stopped complaining a few days after they announced the merger. "The truth is,"he told me,"that the Japanese are our friends now. If we end up fighting any of those countries, it'll be the goddammned Chinese."
The Kawasaki merger represented an inconvenient truth: Manufacturing in America was a tough business in the post globalization world. If companies like Armco were going to survive, they would have to retool. Kawasaki gave Armco a chance, and Middletown's flagship company probably would not have survived without it.
「ほとんどの人がアームコと呼ぶ理由はもうつひとつある。川崎が日本の会社だからだ。町には第二次世界大戦に従軍した退役軍人とその家族がたくさんいる。合併が発表されたときは、東条英機がオハイオ南西部にまできて店を開く、という受け止め方だった。反感は根強くかなりの不協和音を生んだ。しかし、祖父でさえ合併発表から数日後には文句を言うのをやめた。かつて、自分の子供たちに日本車を買ったら勘当だと言っていたのに。祖父はわたしにこう言った。『本当を言えば、日本人は今や俺たちの友人だ。もし俺たちがどこかの国と戦うとしたら、それはくそったれの中国人たちだ』と」
「川崎との合併は不都合な真実を示した。アメリカの製造業はグローバル化が進んだ後の世界では競争力を失っていたのだ。アームコのような会社が生き残るには事業を再構築しなければならなかった。川崎はそのチャンスをアームコに与えてくれた。ミドルタウンの基幹産業だったアームコはそれがなかったらおそらく生き残れなかった」
白人労働者たちはまさに、自分たちの問題として、国際化の波に直面してきたわけだ。筆者が育った町では貧困が広がる一方、貧しい人々を助けるための福祉政策が悪用されている現実もあった。地元のスーパーでアルバイトをしてレジ係を担当した筆者は次のような実態を知る。