The Japanese had violated every code of honor that had been ingrained in us since childhood. Since my childhood, anyway. You didn’t sneak up on someone and hit him in the back of the head, without warning. We called that a sucker punch, and no self-respecting kid did it.
「われわれが子どもの頃から教え込まれてきた喧嘩のルールを、日本人はすべて破った。わたしだって子どものころから身に染みていた作法だ。こっそり忍び寄って何の前触れもなく、後ろから頭を殴るなんてことはしなかった。そんなやり方は不意打ちと呼び、プライドのある子どもはだれもそんなことはしなかったものだ」
こどもの喧嘩になぞらえるあたり、だまし討ちに対する屈辱感が表れている。筆者は日本軍のゼロ戦が爆撃してくるなか、戦艦アリゾナから命からがら脱出した。逃げ遅れる仲間たちが全身焼けただれたり、ちぎれた人体の一部が爆風で飛び散る悲惨な情景も記す。戦艦アリゾナは搭載していた燃料や爆薬などがゼロ戦による爆撃で引火し炎上する。甲板に投げ出された筆者は、戦艦アリゾナの隣に停泊していた修理船の水兵が投げてよこしたロープにぶら下がり、文字通り火の海の上を綱渡りして隣の船に逃げ延びたという。
体の3分の2にやけどを負った筆者はまずハワイの病院に収容された後、アメリカ本土西海岸のリハビリセンターに移される。前述したように、3年後に再び海軍に入る。真珠湾で日本軍から奇襲された時の自身の体験談はまさに、歴史の証言として読み応えがある。しかも、九死に一生を得た若者が国のために再び自らの意思で戦場に戻ったというあたり、アメリカ人読者の愛国心を鼓舞するに違いなく、本書がベストセラーになるのも不思議ではない。
アメリカ人の共通認識と原爆投下を正当化する理屈
しかし、一兵卒だっただけに筆者は特別な情報に接する立場にあったわけではない。本書の歴史的な記述のほとんどは、戦後に明らかになった情報を盛り込んだものにならざるを得ない。だからこそ逆に、一般のアメリカ人が草の根で日本に対する感情やイメージを、どのように抱いていたのかが分かる。1945年7月、一時的に休暇をもらいアメリカ西海岸のサンディエゴで学校に通い研修を受けていた際、次のような情報に接する。
While I was in San Diego, news began leaking out about some of the atrocities the Japanese had committed—-the Rape of Nanking and the Bataan Death March among them. The way they treated our prisoners was worse than even the Nazis. We didn’t know the full extent of those atrocities until the war was over, but what we heard was beyond what you thought human beings were capable of doing to one another.
「わたしがサンディエゴにいたとき、日本人がした残虐行為に関する情報が洩れ始めた。南京での強姦、バターン死の行進などだ。捕虜となったアメリカ兵の扱いはナチスよりもひどかった。戦争が終わるまで、どれだけ酷いことが行われたのかすべてはわからなかったが、われわれが耳にしたことは人間がなしうることの想像を超える残虐さだった」