日本軍はアジアで残虐なことをしたというのは、アメリカ人の共通認識となっているようだ。だからこそ、戦争を終わらせるために、広島・長崎に原爆を投下したのは仕方なかったという、アメリカではおなじみの理屈へとつながる。さらに、原爆投下を正当化するため、アメリカではおなじみの次のような説明も付け加える。
Here I should add a postscript for those who think less of America for resorting to such extreme measures. Before releasing the bomb on Hiroshima, U.S. aircraft dropped leaflets that warned of the bombing. Five million of them. They dropped them on Hiroshima, Nagasaki, and thirty-three other cities that were potential targets.
「アメリカが究極の手段(原子爆弾)に訴えたことをよく思わない人々のために、ここで一つ補足しておくべきだろう。広島に爆弾を落とす前に、アメリカ軍は飛行機から爆撃を警告するビラをばらまいた。500万枚ものビラをだ。広島や長崎、そして爆撃の対象になりうる他の33都市にビラを空からばらまいたのだ」
筆者はさらに次のようにも付け加える。
One more thing you should know . . . None of us at Pearl Harbor got leaflets like that from the Japanese.
「もうひとつ知っておくべきことがある...真珠湾では誰も日本人からこうした事前警告のビラをもらわなかった」
日本に原爆を落とす際、人的な被害を最小限に抑えるため事前に警告を発したというのは、原爆投下を正当化する際にアメリカ人がよく持ち出す理屈のひとつだ。日本人としては事前に警告したかどうかよりも、非戦闘員が多く住む都市に対し、非人道的な大量破壊兵器をつかうことが、そもそも許しがたいという思いを持ってしまう。
日本に対する正直な気持ち
さて、アリゾナ記念館を筆者が初めて訪れたのは真珠湾攻撃25周年の時だったという。この時、筆者は記念館を訪れていた人々の中に、ある日本人の存在に気づき怒りを覚える。
I was even angry that day with some of the visitors. Especially one of them. Mitsuo Fuchida. Captain Mitsuo Fuchida. I couldn't believe he was there, at the memorial. His presence seemed a sacrilege.
「わたしはその日、訪問者のなかの幾人かに怒りを覚えた。特に、そのうちの一人、淵田美津雄に対してだ。淵田美津雄大佐だ。彼がそこ、つまり記念館にいることが信じられなかった。彼がそこにいることは冒とくだと感じた」