2022年11月29日(火)

この熱き人々

2017年3月28日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 高校時代、音大受験のために勉強していた時に、クリスマスなどのイベントで人前で歌うことを初めて経験して、歌う心地よさに目覚めかけた。と同時にスカウトされていた。

 「グループサウンズの最後の頃で、もしかしたら近づけるかなというミーハー的な興味もあって、何も考えずに〝ハーイ〟って答えてました」

 デビューは本名の中島淳子。白いウエディングドレス風の衣装で首に真っ赤なバラのチョーカー、女の子らしい髪に彫りの深い大人びた顔立ち。挑戦的な視線のジャケットで、タイトルが「小さな恋」。なぜかよく覚えているのは、あまりにチグハグだったからだ。

 「無理ありましたよね。歌を歌うならジャニス・ジョプリンのような歌手になりたいって目標をもつようになっていたのに、アイドル路線。バラバラですものね。案の定ヒットしなくて、2曲目が何と『月光のエロス』というタイトルでいきなりセクシー路線に変わって、やっぱりダメ。キャバレー回りさせられて、お客さんに『引っ込め!』なんて言われてね。何だかなあ……と思っていたら、1年後の夏に再デビューが決定。〝夏、決まり〟だからと、ある日私は夏木マリになってた」

「夏木マリ」目覚める

 夏木マリとしての1曲目「絹の靴下」は、インパクトのあるフィンガーアクションとともに大ヒットして、3曲目の「お手やわらかに」もヒットにつなげたものの、再び姿が消えた。

 「低色素性貧血という病気で倒れたんです。3カ月入院してたら、もう忘れられていました。体調が戻ってもテレビに居場所はなくて、またキャバレー回り。大人に言われるままに頑張ってコケて、大人なんか信じるかと不貞腐れてましたねえ」

 20代前半の翻弄されるようなアップダウン。自分は一体何なのかと疑問を感じつつも、流されていく。芸能界で潰されていく典型的なパターンで、そのままだったら今の夏木マリにはたどり着かない。どこかで潮目を変えたからこそ今があるはずである。

 「堕ちていく感はありましたよね。そんな時、舞い込んだのが、日劇ミュージックホールでの2カ月の仕事だったんです。都会で仕事ができるのはうれしかったけど、ヌードのお姉さんたちと一緒だし、出してもらうと決めるのには勇気がいりました」

 流されている自覚がありながら、どうにもならない。そんな夏木につっかえ棒を与え舞台俳優への道を拓いてくれたのは、躊躇していたこの2カ月の仕事だったという。初めての音楽ショーで求められたジャズダンスと、ストリッパーたちの踊りへの妥協のない姿勢が、夏木の気持ちと状況に大変化をもたらしたのである。

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