2022年11月29日(火)

この熱き人々

2017年3月28日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

新たな戦いの舞台へ

 誘われて歌手になった。誘われて舞台俳優になった。夏木の中に人を惹きつける何かが存在したからこそ、人は誘いたくなるのだろう。でも、肝心の本人が自分の中から醸し出されているものの正体がつかめない。もどかしさを抱えてのニューヨークでのひとりぼっちの日々は、どんな発見をもたらしたのか。

 「英語学校に通い、ブロードウェイでダンスを習って、どうも私はジャズダンスには向いてないなあって。ブロードウェイのミュージカルに出られる器じゃないってわかってしまった。また落ち込んで、ひとつひとつ自分を整理したんです。演劇の厳しい空間は好きだ。音楽も好き。でも集団の中で演じている自分の立ち位置が芳(かんば)しくない。意見をちゃんと伝えられない。それなら好きな音楽を素材にひとりで身体表現をやろうと決めました」

 忠実に真面目に誰かに求められることをするのではなく、忠実に真面目に自分が求めることをする。その決意が、企画、構成、演出、出演まですべてひとりで手掛ける93年の舞台「印象派」の誕生につながった。

 望まれる自分から自らが望む自分に。無意識の自分から意識的な自分へ。印象派といえば、19世紀後半のフランスで生まれた、伝統的なアカデミー様式に抗して宮廷から飛び出し戸外で制作、空間と時間による光の質の変化を捉え動きを取り込んだ芸術運動で、代表格はモネ、マネ、ルノワールなど。

 「画集を見ていて、これだ! って思ったんです」

 「印象派」の初の公演。パンフレットには「演劇への決別か、音楽への挑戦か」と記されている。たったひとりで既存のものへ戦いを挑む激しい言葉が並んでいる。が、その裏側から、受け身からの脱却を図り自分へ戦いを挑もうとする必死の叫びが聞こえてくるようだ。

 「初めて自分というものに真正面から向き合った気がしました。本や新聞を読み始め、机に向かい、勉強もしました。プレゼンするには自分の物の見方などフィロソフィーが必要だと感じたから。ものすごく孤独でした。誰にも相談することができないし」

 そんな孤独を乗り越えないと、自分の核へは届かないのだろう。「印象派」として93年から2006年の13年間で、内に息づく演劇と舞踏と音楽が融合した斬新な8作品を世に出した。

 「印象派の展覧会と同じ8回で終わりにするつもりだったんだけど、まだ全然やりきれていない。自分も年齢を重ねて身体表現が届かない部分も出てくるわけで、それなら若い人たちの力を借りて表現してみようと、09年から『印象派NÉO』として作品を発表しています。ひとりでやると言っても結局はいろいろな人が関わらなければ生み出せないんですよね」

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