『二重螺旋』を再読した編著者は、「これらの手紙にみられる、人物や出来事に関する生き生きとした同時代の記述を、ワトソンがじつに正確に著作に反映させていることを知って感銘を受けた」と語る。
ワトソン自身が妹や友人たちに宛てた手紙についても、同じことが言えた。そこには、「無作法で自信過剰、しかしときには自分を卑下したりもする青年」ワトソンのありのままの姿があった。
編著者が、同時代人たちによるあらゆる種類の記録を手に入る限り調査した結果、「一見すると勝手気ままに書いているかのようなワトソンの記述には、さまざまな資料の微妙なニュアンスまでが、丹念に反映されている」ことがわかった。
ワトソンは当初、本のタイトルとして『正直ジム』(Honest Jim)を考えていたそうだが、たしかに、ワトソンは「正直ジム」だったのだ。
編著者がスポットを当てた「脇の物語」
ワトソンが当初のタイトルに込めた意図や執筆の目的は、原典版の「はじめに」に書かれている。彼は、科学がどのように「行われているか」ということが、世間一般にはほとんど知られていないことを大きな問題だと考えていたのである。その想いが、完全版の刊行によって一層くっきりと浮かび上がったといえよう。
<ここに語るのは、私の見たDNAの構造発見のいきさつである。(中略)そこで私は、時代の気分を写し取るという目的のために、重要な出来事や登場人物に出会ったとき、自分が受けた第一印象を再現することに努め、DNAの構造が発見された後になって知りえた多くの事実を踏まえた判断を書くことはしなかった。後者の書き方のほうが、より客観的な記述にはなるだろう。しかしそれをやってしまったのでは、若者らしい不遜さに彩られ、真理は――いったん見出されてしまえば――美しいだけでなくシンプルでもあるはずだという信念に支えられた、あの冒険の精神を伝えることはできないだろう。>
ワトソンの意図は見事に成功した。「大きな仕事を成し遂げたいという野心と、フェアプレーの精神という、互いに矛盾する二つの力に引き裂かれて一筋縄ではいかない科学の世界において、DNAが姿を現したときのいきさつ」が、科学の世界を歩み始めたばかりの若者らしい、みずみずしい筆致で記録されることになったのである。
一方で編著者は、『二重螺旋』に登場する人物の多彩さにも、あらためて心惹かれた。
「ワトソンは物語の流れを妨げまいと、そういう人たちについては最低限の情報しか与えておらず、魅力的な脇役の素性すら明かしていない場合が多い」のであるが、実はこの脇役たちが、そうそうたる顔ぶれなのだ。編著者は、そうした脇の物語にもスポットを当てた。
こうして、「さまざまな観点や声を注釈として添え、背景となる情報や図版も入れて本文に奥行きを与える」本書が完成した。