2024年11月22日(金)

百年レストラン 「ひととき」より

2017年5月11日

店頭に飾られている写真。日露戦争に出征する兵士の宿泊施設として使われたので、2階に兵士の姿も

花柳界にすき焼きを出前

 牛肉を食べ、列車の発着を見る。「今朝」に行けば、文明開化を実感できたわけだ。おかげで店は大人気。そのため土地を増やして新たに大きな店舗を作った。店頭の写真がそれで、明治37年(1904)に撮影されたもの。左端に、2代目店主の勝三郎(かつさぶろう)氏が写っている。子供に恵まれなかった今朝次郎氏は、信州から親戚を迎えて2代目とした。早い段階で勝三郎氏に店を任せたようで、自分は市議として活躍した。

 「2代目はかなりのアイデアマンで、宣伝上手。花柳界で芸者さんと遊ぶ時に、わざと出前を取ったんです。すき焼きのいい匂いが他の部屋にも行き渡り、どこから取ったんだと話題になったという話です。あと、人が多く集まる神社に奉納して、店名と住所を彫った碑を建ててもらったりしました」

昼のメニュー、すき焼丼1,620円(上)、
厨房で調理人の大倉徹也さんが松阪牛を手切りする。この技術を持つ後継者不足が悩みだ(下)

 店はますます繁盛。関東大震災で建物は倒壊したが、昭和元年(1926)にコンクリート造の店舗を新築。昭和15年頃には木造桃山式の建物にした。しかし昭和20年8月に強制疎開を命じられ、自ら取り壊した。空襲時の延焼を防ぐためという理由だったが、新橋は焼けることなく終戦を迎えた。

 ところで「今朝」は開店当初、庶民が通う店だった。美食家として知られる作家・獅子文六のエッセイ『ちんちん電車』に、同店が実名入りで登場する。それによると獅子は、慶應大学時代によく通ったという。学生の身分で……と思うのだが、

 「親父(4代目店主・紫朗(しろう)氏)が継いだ昭和30年代後半までは、慶應や東大の学生が宴会をやりに来てたそうです。今でいう焼肉屋のような使われ方だったんでしょう。それを改めて、高くても美味しい肉にこだわるようにしていきました。夜は、松阪牛しか出さないようにしたんです」


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