「ビジュアルスキャンダル」という言葉もあったし、同じ名前でムック形式の本が出ていました。文字通り、視覚に起こすスキャンダル。気鋭のフォトグラファーとアートディレクターが組んで、突飛な線をあえて狙っていこうという、僕らもそれにあこがれて…。
浜野 フジテレビでもやっていたじゃない、とんでもないこと。
中島 あぁ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って映画で博士役をやったクリストファー・ロイドを使った宣伝ですか。「それ、世の中動かしてますか」っていう…。
1980年代テレビの絶頂期
浜野 絶頂期だよね。あの辺、テレビの、そしてテレビCMのね。
中島 ええ。1980~90年頃って、儲かってたんですね。だから、そういうところに僕らは若者として、先輩たちを打ち負かすべく、ニューカマーで入っていけたんですね。
もうひとつ思い出すのはアメリカの音楽プロモーションビデオ(PV)を見たときの衝撃ですね。典型的にはマイケル・ジャクソンのとか、「ベストヒットUSA」で紹介されていたような映像です。
見たこともないような、うわ、すごいな、まだまだ日本では誰もやったことのない映像が鬼のようにあるぞ、と。その点当社(東北新社)は創業者がメカマニアでもあって、最新鋭の機材を大々的に取り込んで、さあ今まで全くなかった映像を作れ、って旗を振りました。本当に恵まれていたんですね。
ちなみに、今、一番苦しいのが音楽PVですよ。CDが売れませんからね。勢いPVにかける予算なんかなくなって、自家製っぽい映像まで現れているくらい。
浜野 それにしても広告には金がかかる。景気の良かった往年ならいざしらず、今は費用対効果をやかましく言われるでしょう。クライアントにはなんて説明するんですか。
中島 僕がいろいろと構築した理屈が、まずやっぱり、ともかくみんなの注目を集めて、目立つのがいの一番だ。でないと高いお金をどぶに捨てるようなことになりますよ、ってことです。
見てる人の心に届くチャネルを構築しないことには、ブランドも商品も売れません。僕はそのチャネルをつくるんです、っていう理屈。
浜野 上手い(笑)。
中島 それだけだと抽象論なんですが、当時データマーケティングの手法がいろいろ整ってきた。お茶の間の1000人に広告のことをアンケートする会社が現れましたし。
どのCMが印象に残ったかを言わせるもので、宣伝した商品を買ったかどうかより、一種のCM認知度を調べるものでしたけど、これが売り上げとやはりリンクしている。そんなこともわかってきた。
だからこそ、目立ったモン勝ち。一にも二にも認知度アップ、って、広告主さんも躍起になっていたもんでした。まあ感覚としては、僕らは空からビラ撒いたり爆弾落としたり。そこへ商品が海から上陸して進軍するっていう、そんな分担に近かったですね。
いかにしてクライアントに食い込むのか?
浜野 それにしても中島さんの場合、例えばサントリーや資生堂といった企業ブランドをとても大事にする会社と継続して仕事をしていますね。それは容易なことではないと思う。なぜできたんです?
中島 確かに、仕事をさせてもらえるようになるまでが、まず。
浜野 どうやって辿り着くのですか、そこに。