面白いのは、合格の報を受けて留置場での扱いが一変したことだ。署長から「令監(ヨンガム)」という敬称を付けて呼ばれるようになり、お祝いに来た知人と留置場の中での酒盛りまで認められたそうだ。軍事独裁とはいえ社会におおらかな面があったことともに、科挙の伝統を持ち、知識人が支配勢力となってきた伝統を持つ韓国ならではの光景だと言えそうだ。
盧武鉉弁護士とともに民主化運動
次席という優秀な成績で司法修習を終えると、ソウルの大手事務所からの誘いを断って釜山に戻った。そこで人権派弁護士だった盧武鉉氏に出会った。82年のことだ。
文在寅氏は番組で「それまでに会った法曹界の先輩たちは、権威主義というかエリート意識を感じさせる人ばかりだった。盧弁護士にはそういった雰囲気がまったくなく、私と同じ部類の人間だと感じた」と語った。その場で意気投合して盧氏の事務所に加わり、民主化運動にも一緒に身を投じた。
盧氏は87年の民主化後、後に大統領となる金泳三氏に見出されて国会議員となったが、文氏は釜山で人権派弁護士としての活動を続けた。
2002年大統領選で盧氏が当選すると、盧氏に強く請われて青瓦台(大統領府)に入った。常に盧氏に寄り添う姿から「影法師」と呼ばれるようになり、政権後半には実質的なナンバー2である大統領秘書室長を務めた。04年に盧氏に対する弾劾訴追案が国会で可決された時には、盧氏の代理人弁護士として「弾劾棄却」を勝ち取ってもいる。
盧氏退陣後は釜山での弁護士活動に戻っていたが、09年に盧氏が自殺したことで状況が変わる。盧氏逝去を受けて設立された盧武鉉財団の理事となり、その後理事長に。そして、2年後には盧氏の遺志を継ぐ存在として大統領選に担ぎ出されることになった。
朴氏に惜敗した後は「5年後」をにらんで本格的な政治活動を展開。16年秋に朴氏を巡る一連のスキャンダルが発覚した際には辞任要求の先頭に立ち、最大で100万人以上を集めたとされる「ロウソク集会」も積極的に後押しした。
文氏と同じ「共に民主党」に所属する重鎮の政治家は私に「文氏はロウソク集会に大きな借りがあると感じている」と話した。ロウソク集会に代表される世論の高まりが朴氏罷免という事態を招き、大幅に前倒しされた大統領選で文氏が有利になったからだろう。今後は、その思いとともに盧政権での教訓をいかに活かしていくかが問われることになる。
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