2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年6月30日

胡耀邦と親密な関係にあった温家宝首相

 回想文で温は4月上旬、干ばつ視察のため貴州省興義県を訪れたことに触れ、「24年前(1986年)、耀邦同志に(総書記秘書役の党中央弁公庁副主任として)随行してここを視察した情景を思い起こさずにはいられなかった」と回想。「群衆の悩みと苦しみを身でもって体験し、群衆の声を聞き、直接手に入れた材料を掌握するのだ。指導者にとって最大の危険は、実際から離れることだ」。胡耀邦は温にこう教え、温も「耀邦同志の懇ろで思いやりの深いこの言葉は常に私の耳のそばでこだましている」と回顧した。

 さらに温家宝は、87年に胡耀邦が失脚した後も、たびたび胡の自宅を訪れ、89年に倒れるとずっと彼のそばで付き添い、急逝した際もすぐ病院に駆け付けた。死去後も毎年の春節(旧正月)には胡の家族を見舞っているとも告白した。

 この温の回想文を収録した中国誌『博客天下』は、表紙に胡耀邦のカラー写真を掲げ、特集記事を組んだ。人民日報の1面ではなく2面という位置に敏感さは残るものの、複数の共産党関係者は「胡耀邦を語ることはもはやタブーではなくなった」と漏らす。

 これに先立つ3月の全国人民代表大会(全人代)期間中、胡耀邦の長男・胡徳平共産党中央統一戦線工作部副部長も、中国新聞社の取材に「父親の資料を整理しているところであり、恐らく4~5年後に(胡耀邦に関する)出版物が発行されるだろう」と説明している。

胡錦濤と温首相は一枚岩

 実は温の回想文には3つの重大な「カギ」が隠されている。

 第1に「人民日報に掲載された4月15日は胡耀邦死去から21年。どうして20年ではなく、21年という中途半端な記念日なのか」

 第2に「なぜ貴州省の思い出なのか。当時の同省トップの党委書記は胡錦濤だったが、胡は回想文には登場しないのはどうしてか」

 第3に「87年に胡耀邦が失脚して以降、温は後任の趙紫陽総書記の秘書役だったが、なぜ胡耀邦に付き添ったのか」

 北京の中国筋はこう解説する。

 「胡耀邦による86年の貴州行きは書記だった胡錦濤を後押しするためのものだった。今回、胡耀邦がこの貴州視察で若き胡錦濤、温家宝と共に並んで写っている写真も新華社から配信された。胡錦濤と温家宝は微妙な関係とも言われるが、そうではなく一枚岩だ。写真はそのことを示している。2人は共に『胡耀邦のDNA』を持っている。20年ではなく、21年に回想文が登場したのは、この1年間で胡錦濤の権力基盤に変化が生じたからだ」

 別の中国政府筋は、「党内では温家宝首相の経済政策に批判が集まっているが、胡錦濤と温の間では役割分担ができており、胡に批判が集まらないように温が前面に出ている」と解説する。

「どうやって民意をくみ取るのか」がカギ

 胡耀邦は、政治体制改革にも前向きで、彼の時代に社会の自由化が進んだ。趙紫陽の失脚後の談話を集めた『趙紫陽軟禁中的談話』によると、趙は胡耀邦の失脚についてこう語っている。


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