「鄧小平は、自分の死後に胡耀邦が物事を進めると、中国では自由化が氾濫してしまうと思い、胡耀邦に対して次第に失望の色を濃くしていった」
かたや今の胡錦濤や温家宝にとっての「民主」とは何か。ある中国人研究者は「(社会の不安定化につながりかねない欧米式の)急速な民主主義を後回しにし、どうやって民意をくみ取るかだ」と解説する。民衆重視を鮮明にし、国民が今でも慕う胡耀邦の政治手法を取り入れたいのが本音だ。
開明的な週刊紙・南方週末は温家宝の回想文を受けてこう論評する。
「追悼、擁護、あるいは反対にせよ、国民一人一人がこうした自由に感情を表現する権利を持つべきであり、その中には一般民衆も国家指導者も含まれる」
言論の自由を促すべきとの論調だが、80年代は自由な雰囲気で政治改革論争が行われ、人民日報紙面でも議論が展開された、と懐かしむ中国人知識人も多い。
胡の部下だった胡啓立元政治局常務委員が執筆した回想文「私の心の中の耀邦」が共青団機関紙・中国青年報に掲載されたのは05年。この中で胡啓立は胡耀邦についてこう触れた。
「耀邦同志は自分に対する要求が非常に厳しかった。自分の権力地位を利用して家族や個人のためにいかなる利益を図ろうとしたこともなかった。耀邦同志の兄は農民だったが、生活は困難で、ある時、北京に耀邦同志を訪ね仕事を探してほしいと求めた。しかし耀邦同志は自分の給料から200元を取り出して兄に与え、兄は故郷に帰り、死ぬまで農民を続けた」
「耀邦同志には甥がおり、省は幹部にする人事を行った。それを知った耀邦同志は省に電話し、『私が総書記だからといってそんなことはできない』と頑なに退けてしまった」
社会主義市場経済という独特の国家体制は、社会主義という硬直した官僚体制の下、急速に発展を続ける市場で得られる果実を、権力とそれに群がる既得権益層が独占できるシステムという側面も強い。特権とコネを持ったものが「勝ち」という腐敗がはびこる中国の幹部に求められているのは、「胡耀邦のDNA」なのだ。
“黄昏”の江沢民と“正念場”の習近平
胡耀邦の「登場」と胡錦濤の権力基盤強化――。こうした政治の動きは、上海万博開会式にも姿を見せなかった江沢民前総書記の「政治的黄昏」(外交筋)とも関係があろう。
それを読み解く一例こそ、筆者が前回の本コラム「高級ナイトクラブと自殺工場に見る中国の闇」で紹介した「天上人間事件」だ、と北京の消息筋は明かす。
胡錦濤は党幹部に「絶えず権力、金銭、美色(美女)の誘惑に用心しろ」と指示を出していたが、高級ナイトクラブ「天上人間」は、企業家たちが「金」や「女」を駆使し党・政府の高級幹部に接近する場だったことは公然の秘密。
1996年3月、全人代開催中の「天上人間」に北京市公安局西城分局の副局長2人が来て高級酒を飲んだが、「偽物だ」といちゃもんを付けて金を払わずに帰ろうとし、警備員とトラブルになった。副局長は武装警察を呼んだが、形勢不利と見た同店の経営者は中南海に電話し、2人は処分されたという。