いわゆる恋歌。いわゆる旅歌。恋と「旅」は、歌謡のなかでは主流をなすテーマである。それは、今も昔もかわらない。
家にあれば笥〔け〕に盛る飯〔いい〕を
草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
(巻2-142)
『万葉集』における有馬皇子〔ありまのみこ〕の歌である。文字どおりに読むと、野宿を余儀なくされたところでの貧食のようすである。たぶん、この飯とは干し飯(乾飯)であろうか。旅に出るときには必需の携帯食であった。
皇子ともあろう身分の人にとっても、旅は難儀なものであった。『万葉集』には「旅にしあれば」とうたった歌が少なくない。これは、「家にあれば」との対語であって、家での安住を思いだしながら旅での哀愁をうたうのである。とくに、供も少なく辺地に赴く防人〔さきもり〕たちの歌にそれが多い。
万葉の時代までさかのぼらなくても、古く旅は難儀なものであった。日本では中世のころまでは、「旅は憂いもの、辛いもの」であった。
一方で多いのは、巡察や赴任といった公務の旅であった。が、これは、まだよい。往く先々での相応の接待を期待できる。そのところでは、僧侶たちの布教の旅も同様であった。
もっとも難儀をしたのは、流浪の旅人たち。中世のころまではそうした旅人が多かった。そのことは、絵巻物の類からも明らかである。いうなれば、食いつめての旅。往く先々で他人の施しに頼らざるをえない。「乞食〔こつじき〕」の語源も、ひとつにはそこにある。そして、「タベ(給われ)」が旅の語源であろうという柳田國男の説も、それに連なってのものである。
古く、長旅に出ることは、永久〔とわ〕の別れをも覚悟してのことであった。
『万葉集』には、「旅なる君」「旅行く君」をうたった歌も少なくない。留守宅での女性たちが天地のカミを崇め、良人や我が子の無事を祈ったのである。
旅の様相は、近世江戸期より大きくかわった。街道と宿場が整備され、旅が前代よりも数段安全に行なわれるようになり、伊勢参宮に代表される旅の大衆化がはじまったのだ。そして、近代から現代。交通の発達とともに、「旅行」という旅が盛んになった。
旅の難儀は、昔のものがたり。しかし、世界には、現在〔いま〕でも難民と化しての旅ぐらしを余儀なくされた人びともいる。安全な旅が享受できる私たちのしあわせを、あらためて知らなくてはならないであろう。
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