2024年11月22日(金)

メイドインニッポン漫遊録 「ひととき」より

2017年6月5日

(写真上)文政12年(1829)から続く温泉旅館、鍋屋本館。お風呂は畳敷☎0966(22)3131
(写真下)こちらも創業100年以上の老舗、上村〈うえむら〉うなぎ屋のうな重 ☎0966(22)3312

工場閉鎖危機からの大復活

 熊本県人吉市は、球磨(くま)焼酎で有名な球磨川が街の中心部を流れる、九州の小京都とも言われている情緒溢れる温泉街だ。この地域は熊本地震の被害はあまりなかったのだが、街を歩くと「頑張ろう熊本」と書かれた復興支援の募金箱をそこここで目にする。あれからもう1年、まだ1年。忘れてはいけません。 

 
 
 

 HITOYOSHIの工場兼オフィスは、人吉の街を見下ろす小さな高台に建っている。白いペンキで塗られた外壁にブルーのペンキで社名が描かれた社屋は、素朴な白と青のコントラストが、まるでアメリカのニューイングランドあたりの古い民家みたいである。

 「建物自体は築28年になりますが、なかなか雰囲気があるでしょう。会社をスタートしたばかりの頃は時間が有り余っていたので、天気のいい日には社員みんなで外に出てコツコツと壁にペンキを塗ったんですよ」

「シャツを極めるとやはり白です」と、素材からこだわり抜いたホワイトコレクションについて熱く語る社長の吉國さん。シャツを語らせたらトークがとまりません

 そう話すのは、30余年ずっとシャツの企画に携わってきている社長の吉國武さんだ。ジーンズに濃紺のセーターの襟元からチラリと覗く洗い晒しの真っ白なシャツがとってもお似合いの、実にダンディーな方です。

 今でこそ人吉といえばHITOYOSHIのシャツと言われるほどになったが、しかし吉國さんたちが中心となって会社を設立した当初はそうではなかったのだ。

 もともと、この工場は人吉ソーイングといって、大手のシャツ製造会社から生産を委託されていた子会社であった。平成元年(1989)に操業を始めた工場は、ピーク時には年間約60万枚ものシャツを生産していた。しかしこの業界もご多分にもれず、海外製の安価なシャツとの価格競争に敗れてしまい、平成21年(2009)、親会社が会社更生法の適用を申請して倒産してしまう。


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