2022年10月1日(土)

メイドインニッポン漫遊録 「ひととき」より

2017年6月5日

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いであつし (いで・あつし)

コラムニスト

1961年、静岡県生まれ。コピーライター、「ポパイ」編集部を経て、コラムニストに。共著に『“ナウ”のトリセツ いであつし&綿谷画伯の勝手な流行事典 長い?短い?“イマどき”の賞味期限』(世界文化社)など。
 

竹長さん(右)と筆者

  「忘れもしません、2月26日の午後2時でした。親会社から会社更生法を申請したという通告の電話が突然入ったんです。私のところに明日から工場はどうなってしまうんだ! と怒鳴りこむ社員も大勢来ました」

 当時のことをそう語ってくれたのは、取締役工場長として職人の側からHITOYOSHIのシャツを支える、竹長一幸さんだ。

 実は社長の吉國さんの前職は、倒産した親会社の営業企画担当取締役である。竹長さんたちの技術力は世界でも指折りだという確信があり、何としても工場の閉鎖を防ぎたいというシャツづくりに対する熱い思いがあった。そこで根っからの営業マンである吉國さんは一念発起。事業再生の計画書を持ってファンドや地方銀行を熱心に回って、まずMBO(経営陣による買収)で工場を存続させた。破綻企業から独立しても無理。世界中を巡り上質なシャツを見て、着てきた吉國さんにはそんな通説を覆せるだけの勝算があった。

 ヒントはシャツの本場、欧州で見てきたものづくりの精神だ。地域に受け継がれる伝統と技術を守るために、あえて地名をブランド名に使い、店の奥には職人の工房がある。人吉のシャツ工場もそんな会社でありたい。

 そこで欧州のシャツ工房に倣(なら)って、中間業者を省き、販売会社と直接やり取りする少量多種生産に変更。技術力の高い社員を残して大型機械は撤去、ミシンによる手仕事に切り替えた。社名もHITOYOSHIと決めた。今ではその高い技術力が認められ、国内外約70ブランドのシャツを生産。地名を冠したオリジナルシャツは、欧州にひけをとらないクオリティーで人気商品になっているのだ。

市内の販売店、シャリバリメンズ。代表の古賀野豊浩さんはHITOYOSHIの大ファン ☎0966(23)6797

 竹長さんに心配や不安はなかったですか? と聞いてみると、「私たちにはシャツをつくる技術だけは絶対に誰にも負けないという自信があります。その他のことはいっさい吉國社長を信じてついて行きましたから」と苦笑い。それを聞いて、吉國社長が「いやいや、ただ僕はトークが得意なだけです。商と工で、互いにいいコンビですよ」と照れ笑い。年齢も性格も違うお二人ですが、シャツが大大大好きということは変わりありません。

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